東西交易の要として栄えたオアシス都市、敦煌(とんこう)。紀元前115年、漢の武帝が西域に対する軍事拠点を置き、それ以来、後の王朝のいずれもが敦煌をシルクロード東西交易の重要拠点としてきました。シルクロードによってもたらされた東西文化の交流の集大成ともいえる莫高窟(ばっこうくつ)は、砂漠の中に連なる鳴沙山(めいさざん)の絶壁に約1600メートルにわたり掘られています。紀元後366年頃に創建され、以後14世紀に至るまで、およそ1000年にわたって造営が続けられました。
かつて石窟の数が1000以上もあったことから千仏洞(せんぶつどう)とも呼ばれましたが、現在は約その半分となっています。石窟の内部には2000体を超える塑像と、壁画総面積が約4万5000平方メートルもあり、莫高窟の石窟内に残された世界に誇る彫刻や壁画は、文化交流の多様さと豊かさを伝えているだけではなく、中国における仏教美術の流れも見事に映し出しています。
現在、莫高窟は北と南に区分されています。一般に敦煌石窟といわれるのは、敦煌の莫高窟、西千仏洞、安西の楡林窟(ゆりんくつ)の3つの甘粛省敦煌周辺にある石窟寺院をいいます。

 
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