国立情報学研究所 - ディジタル・シルクロード・プロジェクト
『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ

> >
  日本語 English

New!引用情報

doi: 10.20676/00000179
引用形式選択: Chicago | APA | Harvard | IEEE

コレクション情報

原題 史記
書名 史記
解題 漢・司馬遷(撰)、劉宋・裴駰(集解)、唐・司馬貞(索隱)、 唐・張守節(正義)。 明・嘉靖四年(1525)至六年(1527)震澤王氏刊本。漢の武帝が大月氏に張騫を派遣した記述を載せる。中国西方の国々が記録のうえに明確に現れたのはこの『史記』の「大宛傳」が最初である。ただし、ここにはまだ「西域」の語はみえない。
出版年 1525-1527
出版地 中国
巻数 第百二十三巻 大宛列傳 第六十三
ISO639-1 中国語
ISO639-3 zho

ボリューム情報

原題 史記
書名 史記
副題(原語) 大宛列伝 第63
副題 大宛列伝 第63
巻数 巻123
著者 司馬遷
解題 史記大宛列傳。明嘉靖四年至六年震澤王氏刊本。中国の西方の国々が記録のうえに明確に現れたのはこの『史記』の「大宛傳」が最初である。ここに漢の武帝が大月氏に張騫を派遣した記述を載せる。ただしここにはまだ「西域」の語はみえない。張騫の見聞は漢の西域経営に資する所大きく、元狩元年(B.C.122)には西域での見聞を基とした想定から、インドへの道を開拓する目的を以って、西南夷に探検隊を派遣した。後、伊犂地方に據る烏孫と結んで匈奴を伐つべきことを建策して、中郎将に拝せられ、元鼎元年(B.C.116)自ら正使となって、再度西域に使した。烏孫が匈奴の威を憚って応じないため、目的は達しなかったが、貿易使節として各国に派遣した彼の部下は、彼の死後、夫々の国の貿易使節を伴って帰国し、ここに初めて公の東西交通が始まった。
出版年 1525-1527
サイズ(cm) 27x18