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Spatial Coverage (dcterms:spatial)
Relation (dcterms:relation)
![](https://dsr.nii.ac.jp/ruin/files/square/b25490264ba94778fd0deac7c68142cdea6e066b.jpg)
Methods
Murtuk Ruins と烏江不拉克
平面圖だけで遺跡の同定ができた例を示す。Innermost Asia, vol.3, Pl.29. には'Site Plan of Ruins near Murtuk'(圖21、以下Murtuk Ruins、ムルトゥク)として詳細な遺跡平面圖が収められているが、現在ではMurtuk Ruins に對應する遺跡は報告がなく、ここも所在不明遺跡となっている。
圖20: Murtuk Ruins の推定エリア
4.3.1 場寄せによる現在地の推定
圖20 右はInnermost Asia 地圖のMurtuk Ruins 附近を切り抜いたものである。ここもベゼクリク千佛洞(Bezeklik Temple Ruins)に近いため、ベゼクリクでの誤差を用いて場寄せする。Innermost Asia 地圖の誤差は西南西に5.6km であるため、Murtuk Ruins の現在地は圖20 右のGE 畫像の○ エリアであると推定できる。
4.3.2 平面圖との照合による同定
圖21: 左:Site Plan of Ruins near Murtuk 右:烏江不拉克附近の衞星畫像
(42±58055.1100N, 89±31028.0400E)
次に、スタインの報告書にあるMurtuk Ruins の平面圖を、この地域の高解像度衞星畫像と照合した結果が圖21 である。圖21 左のスタインの描いた平面圖と、圖21 右のGE の衞星畫像とを照合すると、地形がほぼ完全に一致していることがわかる。また平面圖には方位が書き込まれており、これもよく一致している。したがって、平面圖を現在の衞星畫像と直接位置合わせすることができるため、この平面圖に描かれている遺跡の現在地を確定させることができる。この附近の遺跡は現在では烏江不拉克(ウジャンブラク)と呼ばれている。この地域では、從來はB0 の石窟がグリュンウェーデルの調査したMurtuq, 2. Anlage であることが指摘されていたが、スタインが報告したMurtuk Ruins との關連性は指摘されたことがなかった。しかし場所の同一性を證據とすれば、Murtuk Ruins と烏江不拉克は同一の遺跡であると判斷することができる。同定の結果、スタインの報告と現代の調査では異なる遺跡が報告されており、そのために同定が困難であったことが判明した。
4.3.3 寫眞照合による同定
このようにMurtuk Ruins については平面圖だけで同定が完了してしまったが、寫眞照合によって證據を補強することも可能である。圖22 右はスタインがMurtukRuins M.B.I として報告した佛塔の寫眞である。一方圖22 左は烏江不拉克佛塔として現在報告されている遺跡の寫眞である。兩者の撮影角度は若干異なるが、遺構の崩れ方から判斷しても、同一の遺構と判定することができる。また圖23 右はスタインがMurtuk Ruins M. C. I として報告した遺構の寫眞である。一方圖23左は烏江不拉克烽火臺として現在報告されている遺構の寫眞である。兩者はほぼ同一の角度で撮影されており、背景の山や遺構周邊の樣子まで一致している。この2 枚の寫眞照合の結果により、Murtuk Ruins と烏江不拉克遺跡では、少なくともM.B とB0、M.C とC0 が同一の遺構であることを確認できた。
圖22: 左:烏江不拉克佛塔 右:Murtuk Ruins M.B.I
なおこのような同一性の判定は、名稱や記述のみによる判定では誤りが生じやすいことに注意されたい。例えばM.C. はスタインがRuined Shrine(寺院遺址)と報告しているが、現代資料ではC0 は烽火臺11と報告している。したがって、遺跡の分類に依據してしまうと兩者の同一性を判定することができない。空間畫像史料に依據することで、遺跡の性質に對する認識や名稱が異なっていても同一性を判定できる例があることを考えれば、こうした新しい手法の利用によって遺跡の同定が進む可能性もある。
圖23: 左:烏江不拉克烽火臺 右:Murtuk Ruins Ruined Shrine M.C.I.
4.3.4 同定遺跡の周邊
圖24: a の位置に廣がる墓葬群。烏江不拉克墓群の北部? (42±59019.6300N, 89±30056.8600E)
同定遺跡の周邊に存在する遺跡についても、平面圖に記された遺跡は全て同定することができることがわかった。例えば圖24 は、圖21 のa に相當する位置の衞星畫像である。圖21 ではGrave(墓地)を示す記號が記入されているが、GE で擴大すると甲字型の墳院を伴う墓葬群が存在することがわかる。これは現地で烏江不拉克古墓群と呼ばれる墓葬群の北部と考えられる。この他、衞星畫像上では確認しにくいが、M.A.・M.D.・b の位置にも遺跡の存在が推定できる。以上のように、この地域ではほぼ全ての遺跡を一気に同定することができた。これにより、今後のこの地域の調査では探檢隊資料を活用することが可能になり、今後の調査
が深化していくことが期待できる。
〔注〕
11遺跡の前には「木爾土克薩依烽火臺」という碑が立てられている。「烏江不拉克烽火臺」という名稱は、「普査」のデータに基づく。
(出典:西村陽子, 北本朝展“スタイン地図と衛星画像を用いたタリム盆地の遺跡同定手法と探検隊考古調査地の解明”敦煌写本研究年報4, 2010, pp.209-245.)
2021/10/23作成
2021/12/08更新
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- Stein Place Name - Innermost Asia / Kara-Khoja
- Not Collated
- Hedin Place Name - Central Asia Atlas
- Collated
- German Expeditions Place Name - Idikutschari
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- Huang Wenbi Place Name - Archaeological Report in Turfan / Archaeological Report in Tarim Basin
- Collated (with Image Cards)
- DSR Place Name - Silk Road in Photographs
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