Ruin Card

Ak-sipil/アク=シピル

コータンオアシス北方の砂漠の中に位置する城塞遺跡。円形の城塞のうち、現在はその北北東の部分の城壁が一部残存するのみである。

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Spatial Coverage (dcterms:spatial)

Ak-sipil / アク=シピル
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5.1. Ak-sipil・Ak-terek・Hanguya-tati
 広大な領域に遺構が面的に広がる遺跡群における同定の例として、和田オアシスの北東に広がるHanguya-tatiと、その中に存在するAk-sipil・Ak-terek遺跡を取り上げる。Ak-sipilやAk-terekはJiya(吉亞鄉)からのアクセスが容易なことから,スタインや黄文弼などに報告が残っている。また,Ak-sipilは所在が明らかな遺跡であり,現在でも多数の人が訪れている。Ak-sipilについてはAncient Khotan vol.1, Chap. XIV, Sec. ii. “The Remains of Ak-sipil and Kighillik” に,Ak-terekについてはSerindia vol.1, Chap. IV, Sec. v.に“the Site of Ak-terek” として収められており,採集したテラコッタのレリーフから,仏教寺院であるとしている。
ここでの問題は、Ak-terekとAk-sipilという二つの遺跡が孤立した状態で存在しているのではなく、Hanguya-tatiという広大な遺跡群の中に位置していることにある。スタインは紅陶が散らばるDébris地帯をHanguya-tatiとして報告しており,ここでChinese Coin等を採集している 。またこの地域には他にもArka-kuduk-TimやKighillikなどの仏教寺院遺址が存在しており,Hanguya-tatiを超えて辿りついたことが記されている 。この地域には多数の遺構が散在しているのである。

5.1.1.場寄せによる現在位置の推定
 そこでHanguya-tatiの地域を衛星画像で確認してみると、この地域に広大な遺跡群が広がっていることが一目瞭然である。図22右の大きい○の範囲には,多数の建築遺構や潅漑水路,耕作地の痕跡が存在しており,これがスタインの言うHanguya–tatiと考えられる。小さい○はAk-sipil・Ak-terek遺跡の現在位置の推定地である。しかし類似した遺構が空間的に繰り返しつつ広がっているため、どこからどこまでが一つの遺跡なのか、その境界は明確には定めがたい。そこで2.2章で述べたようにHanguya-tatiを面状遺跡という概念で捉えることとし、面状遺跡に含まれる点状遺跡であるAk-sipilとAk-terek遺跡の同定という問題を考える。


図22:Hanguya-tati, Ak-sipil,Ak-terekの現在位置。
左:Innermost Asia地図。右:GE衛星画像。上の○はAk-sipil,下の○はAk-terek。

5.1.2. 面状遺跡の中の点状遺跡の同定
 まずAk-terekの例を取り上げる。図23はRuined Shrine near Ak-terek の平面図であり,図24はAk-terekの現在位置の現況である。そこでこの付近のGE画像を精査したところ、Ak-terekの平面図との類似性が同程度の遺構が多数存在することがわかった。すなわち、類似した遺構はたくさんあるものの、一つだけ顕著に類似した遺構が存在するわけではないという状況である。その理由には、Ak-terekが小さくとりたてて特徴的ではない遺構であること、そして砂丘の移動によって遺構が覆い隠されて形状が変わること、などが考えられる。いずれにしろ、Ak-terekと特定の遺構を結びつけることは困難であることから、従来の点状遺跡のように1対1の対応で同定を判定するなら、この場合は同定ができないということになる。しかし遺跡同定という本来の目的に立ち戻れば、Ak-terekのような遺構がこの地域に存在する可能性が非常に高いか否かが知りたいのである。そのためには広義の意味での同定を考える必要がある。
そこで判断基準となるのが、面状遺跡において卓越する遺構パターンとの類似性である。面状遺跡において卓越する遺構パターンと同定対象の遺構の特徴の類似性が非常に高いのであれば、面状遺跡に含まれる遺構の一つとして存在しうる確率は非常に高いと言えるからである。この観点ではAk-terekの建築方向に着目することができる。この地域の建築遺構は吉亞鄉(Jiya)から東北に向かって延びる古河道に沿って建てられているため、一定の方向を向いている。そしてスタインによるRuined Shrine near Ak-terek の平面図もその方向と一致している。またAk-terekのような四角い遺構はこの地域に大量に存在する。こうした証拠を集めれば、Ak-terekはHanguya-tatiの遺構の一つであると広義の意味で同定することは問題ないだろう。
 次にAk-sipilである。こちらも面状遺跡の中の点状遺跡という意味ではAk-terekと同様である。しかしAk-terekとの大きな違いは、Ak-sipilの遺構は上記のようなHanguya-tatiにおいて卓越する遺構パターンとは異なる、円弧状の特徴的な形状を示している点である(図25) 。このような場合はたとえ面状遺跡の中の点状遺跡であっても、一意に同定することができる。つまり面状遺跡の中の点状遺跡の同定においては、一対一で遺構を同定できるという狭義の同定と、その地域の遺構の一つとして存在することが十分に確からしいという広義の同定という2通りがある。


図23:Plan of Ruined Shrine near Ak-terek    


図24:Ak-terekの現況(Hanguya-tati)


図25:左:Plan of Extant Wall Segment of Ruined Fortification, Ak-sipil 右:Ak-sipilの現況(37°11’0.35”N, 80°04’47.71”E)

(出典:『唐研究』16)
2021/12/05作成
2021/12/06更新

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