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P寺院 / Tempel P

第一次ドイツ=トルファン探険隊が調査した高昌故城内の仏教寺院遺跡。

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Tempel P
 「確信度高く現存する遺構」とは、高昌古城内で調査した場合にどのように見えるものであるかは、例えばStûpa Oのすぐ隣に存在し、現在でもよく残っているTempel Pの事例と比較してみると明らかになると思われる。
 グリュンウェーデルの報告によると、この珍しい建物はおおよそ2メートルのテラスの上にあり、南側に崩れた階段がある。また、かつてはおそらくはそれほど高くない壁に囲まれていた。この壁は、階段の脇にあたる表側の部分にだけ残っている。台座は長方形で、奥行き(南北)は64メートル、間口はおおよそ58メートルである。テラスの中央には4.6メートルの高さの基壇があり、各辺におよそ16メートル四方の方形の基壇を伴う。基壇の中には、仏龕を伴う約5.5メートルの高さの塔が5×4基ずつ立っているという(図48)。
 Stûpa Oから東南を見ると、Tempel Pが目に入る。交河故城にある十字型の仏塔遺構に類似した形状をしている。グリュンウェーデルがTempel Pで報告した仏塔は既に基壇だけになっているが、なお残っている(図49)。仏龕を伴う塔は現存しないものの、両者の類似性は明らかであり、Tempel Pが現在でも残っていることが判明する。


図48 Tempel P (Idikutschari, fig. 24)


図49 Tempel Pの現況

 このような例を見てみると、スタイン図に描かれていない遺構は、スタインが見落としたわけではなく、その当時すでに存在しなかったと想定することは妥当であろう。スタインは、グリュンウェーデル調査遺構を認識していても、過去の遺構は描いておらず、スタイン調査当時の遺構の現状をそのまま写し取った図である。故に、グリュンウェーデル図に存在し、所在地も確定できるにも拘わらずスタイン図に存在しない大規模な遺構の存在は、その遺構の存在下限がスタインの調査より前にあることを示している可能性が高い。

(出典:西村陽子, Erika Forte, 北本朝展, 張勇「古代城市遺址高昌的遺構比定 : 基于地図史料批判的絲綢之路探険隊考察報告整合 」『西域文史』第9輯、2014年、190-191頁)

2021年12月8日作成

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  • Stein Place Name - Innermost Asia / Kara-Khoja
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  • German Expeditions Place Name - Idikutschari
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  • Huang Wenbi Place Name - Archaeological Report in Turfan / Archaeological Report in Tarim Basin
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  • DSR Place Name - Silk Road in Photographs
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