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『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ

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0010 西域考古図譜 : vol.1
西域考古図譜 : vol.1 / 10 ページ(白黒高解像度画像)

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doi: 10.20676/00000212
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OCR読み取り結果

を出發せるは明治四十一年六月十六日にして光づ途を外蒙古に取り庫倫箱徳尼招鳥里雅蘇台科部多を経て古城に至り十月二十六日を以て新疆の省城たる烏魯木齊に達す。
滞留二十餘日南下して吐魯番に入り東方喀喇卓附近に於ける勝金口木頭溝の諸地并に西方雅爾湖に於ける故址を討ね明治四十二年一月六日吐魯番を出發して同月一日より九日吐魯番旬を至る間或は其附近の踏査に從事し或は庫爾勒の地に出で野村栄三郎は分れて庫車に向ひ三月一日より六日吐魯番旬を至る間或は
五日喀喇沙爾に入り次で庫爾勒に拜し南の附近を往来し河を下り更に流域を経て阿克蘇に達せり。
又橘瑞超は二月より沙漠に進む三日にして南下し哈里克に到り此地はコンチダリアと塔里木河の合流地を過ぎて三月八日羅布沙漠に向ひ後更に進む四月二十四日より約一簡のチュルチェン方面より山路を経て漢代
楼蘭の故地を探究せる後和闐に向ひて出發し巴住里克に登し此地に至り七月七日喀爾羌に入り著
て尼雅に出で更に拉爾巴什に時に一行は南行して九月一日喀爾羌に入り
し再び野村栄三里克爾雅を経て踏査し。八月二十一日行ひ此地の溪谷を踏査せり。
唐代旅行楼三郎と故地を搜食す。
李代斫村栄三郎と故地を搜食す。
を備へ十月二日業爾羲を出發しカラコラムの二人なり。初め橘瑞超は
第三回の旅行を終り印度を経て英国に入り大正三年に互ひに従事を越吉川小一郎の二人なり。初め橘瑞超は
第二回の旅行は明治四十二日吐魯番蘇露を経て出發して同年十月二十九日至り鳥魯木齊に達せり。
第三回の旅行を終り印度を経て英国に入り大正三年に互ひに従事を越吉川小一郎の二人なり。初め橘瑞超は
に於ける故址塔里巴哈爾庫喀喇嶋蘇繼廟して出發して同年十月二十九日至り鳥魯木齊に達せり。
車に離れ塔里巴哈爾庫喀喇嶋蘇繼廟して出發して同年十月二十九日至り鳥魯木齊に達せり。
チュルチェンに至り此地に於ける塔克拉廟して季節稍遅かりし時に塔里木河の流域より沙漠を更に進んでチディールに達す。是れより先吐魯番に於て数日前天然痘に病みて死亡
ミシブラクに到る途に就く。
月四日北進の後三日にして塔里木河の流域より沙漠を更に進んでチディールに達す。是れより先吐魯番に於て数日前天然痘に病みて死亡
感ぜしが後三日にして塔里木河の流域より沙漠を更に進んでチディールに達す。是れより先吐魯番に於て数日前天然痘に病みて死亡
国人ホプスは喀爾衛の荷物を管理して庫車に在るの約あれば直ちに此地に赴きして同人は恰も数日前天然痘に病みて死亡
し遣骸は喀什麼の英国總領事に託され庫車に在るの約あれば直ちに此地に赴きして同人は恰も数日前天然痘に病みて死亡
同地に滞在すること三週日にして四月四日つて和闐に向ひ葉爾羌喀喇里克を過ぎさらに古の祈旬廻國の地