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0076 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 76 (Grayscale High Resolution Image)

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doi: 10.20676/00000267
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天歴二年冬有旨、命三館學士院與翰林國史院、參考的唐宋會要之體、會務國朝故實之文、作爲成書、賜
名皇朝經世大典。明年二月以、國史自有「著撰帖木兒之、命三館學士」專率其屬、而爲之。大師丞相答剌罕太平王臣燕帖
木兒總監其事、明年大司徒臣阿憐帖木兒等、以省臺及之重、與學士院監官局、簡牘具來、供給無闕、至於執筆墓……並以書臣近臣賓實於燕帖
典。任三提調、……御史中書平章政事臣趙世延。而武以臣慮集、興學士院藝文監官局、分局撰、又命三禮部
修。則命三主管文學士中書平章政事臣趙世延。鸞鳥學儒士中書三十人。給以三筆札、而繕寫之……是年四月十六日開局。……以至順二年五月一
と記されている。両者を比較すると、この書の纂脩に着手した初めが天歴二年であることは疑無く、たゞ前者には
それが九月と記され、後者には冬と記されているのが稍々相違せざるを見えないけれども、その墓、三月に趙世延や慮集等が
篡脩世大典事を顧したことに記されているのは一致している。これによって考へると、この二月庚寅
任じ、燕帖の誤傳ではないかと思は、趙世延傳に至順元年とのみ記しているのは、もとより記者は、この三月庚寅の記
事は何かの相錯するものであらうか。同年四月十六日局を開いたことは繰り返り記されているから、
の事實に相錯するものではないかと思は、趙世延傳に至順元年とのみ記してい

集自からの言ふ所として尊重するの外は無い。同年四月十六日局を開いた時日については、両者ともに至順三年五月
とすることに於て一致した。前者に乙未とし、最後にこれが繰り返り記されているから、この月の乙未は三正綜
覧によると五月二十一日に相当するから、これは多分元交類が「廿」の一字を落したものに外ならぬであらう。こ