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0104 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 104 (Grayscale High Resolution Image)

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doi: 10.20676/00000267
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站赤六に見えて居つて、こゝにまた變革の行はれたことを示して居る。即ち
世祖皇帝時、腹裏江南漢地站赤、總管提調。例從「各路達魯花赤・總管提調」、近年令州縣官管轄。似此站赤受害、今可依
前例。將令、各路達花赤勿得預。

といふのである。この事を准けたとして、仔細に記してゐる所である。即ちこの答交には
日江西行省が通政院の咨を准けたとして、仔細に記してゐる所である。即ちこの答交には
通政院咨。延祐七年七月初九日。本院官吏、仔細に記してゐる所である。站赤每、休叱・提調的・上頭。世祖皇受盛時、腹裏江南漢兒等站赤每。各路裏
路達魯花赤・總管・延祐提調有來。近年、叱・提調的・司頭。忽生弊賽、那般者。伏著世祖皇帝聖旨一叱各路達
達魯花赤・總管・延祐提調有來。近年、叱・提調的・司頭。忽生弊賽、那般者。伏著世祖皇帝聖旨一叱各路達
魯花赤・總管・提調(赤)兩個提調。

と見えてゐる。世祖の時には也の前述の如く站の管理には「州縣官吏、每、休叱・提調者、隨處行叱賣、有廩道聖旨丁伏也。如今、腹裏祖皇帝聖旨一叱各路達
魯花赤・總管・提調(赤)兩個提調。

かゝる方面を執り、運くも至元二十八年以後花赤及び總管が提調することになつたのである。獨り各路の達魯花赤が管理に當つて居つたのであるが、その理由とする所
藏内、江南等の地の漢站を、常に各路の達魯花赤及び總管が提調することになつたのである。獨り各路の達魯花赤が管理に當つて居つたのであるが、その理由とする所
はいつも同じことで、州縣はこれに關與することなく、獨り各路に任せては徴収が重く、站戸は害を受け、驛站の設備が不充分になつて、当面の目

的を達し得られないといふ事にあつたのである。

然るに同じ英宗の至治三年に至つて、復もや州縣をして站赤を提調させることゝし、ついで泰定年三月には、