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0228 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 228 (Grayscale High Resolution Image)

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doi: 10.20676/00000267
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方に據りしものならん。拔野古は通典會要共に「在僕骨東境」とし、通典には騎兵萬餘、會要には勝兵一萬、口六
萬人と記せるに、唐書拔野古傳のみは「漫散磧北地千里、直僕骨東、隣于靺鞨、艤戸六萬、兵萬人」と記せり、即
ち僕骨の東に在りとせるは前三書と同じこと明かにして、其の人口勝兵等の比例も他部に求むるも、千里の間に亙りて異
り、然も此の記事はる唐書の誤なること明かにして、其人口勝兵等の比例も他部に求むるも、千里の間に亙りて異
書、有國人居住、其人謂之康干石、又通典には「其地東北千有餘黑」と記し、倉庫にも有松木、入水三年、乃化爲石、其色
分布したる部族とは思ふ可らず、又通典には「其地東北千有餘黑」と記し、仍似松文」と記し、
して、以下全く通典と同一の事實を記せるご割し、唐書には、「地有熏草、産良馬精鐵、其地東北二千里、日康干河」と記し
て、又前者と同様の事實を書き連けたり、河邊に國人(拔野古人)を以て、拔野古部内の地と記せるものには非ずして、拔野
古の地に記せるものなるを、唐書の編者は之を以て、河域内のことに考へ、拔野古人の意に非ずること疑無し、居住するものの有り云
々と記せるなるを、前三書に康干石以後、仍似松文」と記し、
に至りたるこご無し、此の如くして、拔野古の住み(拔野古古域内のことに考へ、拔野古人の意に非ずること疑無し)、之が漫散磧北地千里と記せるものに
べき、若し此の如くすれば、一時靺鞨の西方、興安嶺の東四に亙りて分布したる室韋との境界を如何に定むべきなる
か、されば唐書の此の一節に就きては全く信ずる能はず、必ず通典會要等の記載、若しくは此等の書が基
きた、史料に余雑したる所を誤解したる結果に出でたるものに外ならずとなす、かへれば拔野古も亦僕骨の東境に在り
て、其の隣域と記する所を誤解したる結果に出でたるものに外ならずとなす、かへれば拔野古も亦僕骨の東境に在り
て要するに此等の鐵勒の諸部は大槪下流に於て、Selenga 河の名を以て、Birkul 湖に注ぐ衆流、即ち Selenga、Tola

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