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0253 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 253 (Grayscale High Resolution Image)

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doi: 10.20676/00000267
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なり。

十一年の誤と見、會要及び汗骨咄蘇の位に上りしことは上に述べたるが如し、此の可汗は永真元年(八〇五年)に死し、阿咥に繼ぎて懷信可汗骨咄蘇の位に上りしことは上に述べたるが如し、此の可汗は永真元年(八〇五年)に死し、唐は此の年其の後嗣に對し、册府元龜封册篇及び同書儀纖篇等に見ゆ、之を以て新唐書同册傳に膝廬(遮廬)里野合供たヾ此の年新たに立てる可汗の本名及び血脈に就きては明かならず、舊唐書同册傳には此の可汗のこと録毗伽可汗と記し、册府元龜は愛登里遷汨德忠(密)施供録毗せり、其の徽號も新唐書同册傳には此の可汗のことは全く見えず、貞元十一年懷信可汗を册命したる記事に續きて、直に元和四年廉德里利録没可汗と記さるゝが、録毗伽可汗は大に近迫すべき保義可汗の號は少し誤りて記したるものに外ならざれ使を全く唐に遣したることを記せり、此の徽號は大に近迫すべき保義可汗の號は少し誤りて記したるものに外ならざれば、懷信可汗と保義可汗との間に、他の可汗の存在を記さるものなりとす、然れ共此の如きは册府元龜封册篇によれば元謂す可、之を以て上に引ける諸書の記載を疑ふ可きにはあらず、元和三年間僧の使來りて威安公主の喪を告げたることを述べた和三年(八〇八年)五月にして、新唐書の回鶻傳にも、舊唐書は此の可汗の名を記さヾること前述の如く、然も其の本紀及元る續きに「無幾可汗亦死」と記せり、爲登曜里汨密施合供録毗伽可汗と記せり、舊唐書は此の可汗の名を記さヾること前述の如く、然も其の本紀及元三年五月の條には「丙午正衛册元佐纖紀可汗、爲登曜里汨密施合供録毗伽可汗と記せり、舊唐書は此の可汗の名を記さヾること前述の如く、然も其の本紀及元

録毗伽可汗の存在を認むる以上は、此の可汗の死が、又元和三年に在りたる等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り、通鑑の記する所も亦同一なり、然るに怪しむ可きは、唐の會要には此等の誓書と異り