National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0399 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 399 (Grayscale High Resolution Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

突厥碑文中默綴連可汗の三十三歳の時の事件として記さるゝ前記の記事に對應すべき漢史上の事實は上に述べた
るが如し、されば若し此三十三歳なる事實は、鐵勒の九姓に屬する思賀及び同類の數部(前記照)の唐に来朝したる事實か、或は
に来り投ずるに至りし事實か、又碑文に Toγuz Oγuz の行動に
開元四年六月に於ける回倒・同羅・霧・拔悉固をはじめ回
よりて默啜が死するに至りしことに應ずるか、若しくは拔悉固等の諸部に殺さる
倒・同羅・霧・拔悉固等の諸部が默啜を殺し、此の結果として默啜が常に此等の諸部(々の名稱
ゝに至りたるものなれば、此に應ずるものならざるを得ず(此の結果となりとす、然るに此等の諸部)
は、大磧碑文中にも記され、思賀は 同羅は Boluγ・Toγit・Ujγur、同羅は Sülüηgel・Toγit が、拔悉固は Bajirku・愛郎ち白霧は
Hïrïa 氏に拠ればまたその Boluγ・Toγit・Ujγur、拔悉固は Sülüηgel・Bajirku・Hïrïa・Margaret 氏
等も之に従へるものゝ如し、かゝれば碑文記載の事項が上記漢史中の何れかの記事に相當するものと認
めらるゝに係はらず、之と關連して見はるゝ Oγuz・Toγuz Oγuz なる名は其の儘の形にては漢史の記事中に認む
る能はさるものゝとす、然れど此の兩に記書の一致が疑無しとすれば、此等の名稱の相違に就いての解釋は少し
も困難なることには非ず、即ち Oγuz 若しくは Toγuz Oγuz とは漢史に見ゆる鐵勒の九姓及び共の
他の諸部、或は投悉固・回倒・同羅・白霧・拔悉固等の諸部(たることも前に論ぜべき九姓に屬する思賀及び共の
の名に當るものに過ぎずと見れば、容易に此の相違の點を解釋し得べく、かく見ることに於て何等矛盾の間
存する有る無く、またかくすることに於て此の問題を解釋し得べく、きものなるを信じて厭わず

九姓回倒と Toγuz Oγuz との關係を論ず

三六一