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0714 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 714 (Grayscale High Resolution Image)

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doi: 10.20676/00000267
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遺百官子弟入學。前官子弟入學。前者の詔にも拘はらず、漢人の蒙古國子學に入つて學修するものが無く⑨、また官府の文書にも並來用ゐる訓とある。前官子弟の詔にも拘はらず、漢人の蒙古國子學に入つて學修するものが無く、ここに重ねて其の勵行を促すに至つたものである。当時元朝の國字に對する主た與吾字を使用して居つたか如何で出来る。併しながら、中書省の交册奏檢に民書字を用ゐる方針を禁じ、尚且つ功果を擧げることを容易で無かつたと見え、至元十六年五月に、中書省の翰林院が翰林直學士行臺興路提學官の皇太を受けたが、其の中に、「今者義方針の如何であったかを知る。至元二十一年生北之民實於政習。蓋因施不廣、用不助之故也」と謂ひ、蒙古字を廣く行はしめる方法學の一條には、蒙古字離れ至元二十八年の聖旨を廣く實行すべきことを述べたので中書省は之が施行を含して、の一として、至元八年飲奉聖旨書寫、都省議覆。應凡奏目並依例實進奏章。並用蒙古字書寫。欽此。今後撫令各所大小衙門、將應保奏進表至元八年蒙古字書旨條書内、至元八年以來十餘年を経て勾制令の通りに實行することの困難であったのを知り得ると章。並用蒙古字書寫。至元八年以來十餘年を経て勾制令の通りに實行することの困難であったのを知り得ると見える。これに依れば、至元八年以來十餘年を経て勾制令の通りに實行することの困難であったのを知り得ると共に、盆々其の實施に意を用ゐたことを認め得られる。

六七六

さてここで注意しなければならぬことは、当時この詔令文移に蒙古字を用ゐると規定したのは、それが漢地に關する限りに於て、どこまでも蒙古字そのものを指すのであって、蒙古語に及んで居るものでないことである。字と語との兩語は往々にして混同し易く、文字なる語によって、時に文章言語を意味することのあるのは言ふまでもな