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0058 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 58 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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一一〇

とあって、站戸をして窮境に陷らしめ、終に所謂逃。を生し、爲めに驛站の維持をして困難に陷らしむるか如き方法をとりぬ。されは之を防かんか爲には屢々して站官を戒むると共に、一方站戸を贍恤し其損害を償ふ如き僧土等、爲士等は當時もなほ租税の負擔を免除せられしものにして、從かつて站戸内にあるものと雖此等は一切其科差を荷なふものにあらさり、されは時に放游なるものは自から之に抗して其責めを逃れんとせし實例を見せ(兵部典章、且つ道典章には沈驛站普なるものは、必す其家族に男子多くして一家の租税の負擔に勝え、又その父母を養なひ得る家庭のものならさるを可として定めたり。此の如くにして驛站所費の馬匹に站戸の負擔せしと元史貸志等に詳らかなり、只た其組に於ては變らす、站戸もとより徴収するのと共に、政府目からもの負擔を踏襲して、其負擔を定めたるのみ。要するに站戸民力の如何を記て、元史飲食を正し、組織を密にしたるに過きす、唯

元朝驛傳の制大略上の如し、漢北時代既存の制度を踏襲して、更に秩序を正し、細組を密にしたるに過きす、唯一箇之を前代に認むる可からすして而して頗めて重要なるものの新らたに設立せられるあり、此法たるや其輕快の速力に於て實に古來未た存せさる處に

遞鋪(至元九年通遠鋪と改名す)なるもの即ちさなり、

して、「永く之を明代に傳へて國家至要の具と見るさるに至りぬ。

元史兵志に曰く『世祖時、自燕京至開平府、復自開平府至京兆、今少しく之に就いて記述する所あらんとす。始驗地理遠近人數多寡、立急遞站鋪、每十里