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0091 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 91 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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三月四日中書右丞相安童奏、「霍木海墨」中統四年春、命「總ニ管諸路站赤」、至元元年改隸漢站、「今各路管民官誠恐兩歧、臣等議得、止令、依至元元年、
掌管一、上從」之。
と見えて居る。「上從」之。
 中統四年八月戊申朔詔「霍木海總ニ管諸路驛」、偶ニ「令竹」一、漢站の管轄だけを各路の管民官の手に移し、霍木海は使臣の
起す數や鋪馬の強弱を總覧することになったのである。元史世祖紀にも
とある。この中統四年に任じた霍木海の事項の中で、至元四年には使臣の
の站赤を總覧したと記されて居るだけであるけれども、至元元年からのことである。元中統四年に於ても霍木海は大ヽ諸路
の站赤は中央に在って、諸路の站赤の總管と共に、使臣の起數や鋪馬の強弱をも掌て居ったに相違ない。この霍
木海一人に任されていた站赤に關するすべての管理が二つに分れて、至元元年に各路の管民官と霍木海との手に
分掌されることになったので、その後四年を經た至元五年に至って、これを一に歸せしめたいとの前記霍木
海の呈請となったのである。併しながらこの時にはこに見えるやうに、中書右丞相安童等の議に依って、依然
として中統四年前ちの制に從はしめることになり、霍木海の希望は容れられなかったのである。
 上述の如く中統四年以來霍木海は諸路の站赤を總管したり、或はその一部の事務を管理してゐたのであるが、然
も如何なる名義に於てその任務に當ったかは詳らかでない。然るに至元七年十一月九日に至って、初めて諸站都
統使という官義を立てて、元良哈剌・幹脱忽・霍木海の三人に命じて、站赤一切の整治に當らせることとした。即