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0093 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 93 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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に述べた見るべきであろう。
 諸站都統領使司は至元十三年になって、その所属名稱も改められて、至元七年以来諸站都統領使司の管掌した時代及び、同様で
通政院と稱することになった。(至元)十三年二月十五日諸站都統領使司、経世大典站赤二に、
 掌「漢站」一、「斡嶺」之脱忽・霍木海三人同事。伏「目う大元国以来」委「各虔達魯花赤・管民正官・兼管」軍「站鳥・重」至元七年上命設「本司」、「改各虔達魯花赤・奏・聖旨」改号「通政院」、「立三通政院」、「所属」十八日都行移都省鎮「回信」、「改立三通政院」、「何用此」
 遇「最決不定事務」、「移公文」之用司。上曰、「庇爾與」之可也。「省部行移都省名」
と記され、この奏に依ると、単に諸站都統領使司という官衙が通政院と名を改めたに過ぎず、所属の如きは
矢張り兵部の下に在って変りはなかったかの如くも思はれるけれども、然も眞は兵部から離れて獨立の院となったものであることは前にも引いた通り、至大四年二月二十三日の中書省の奏に、通政院が站の整治を怠ったので、再びこれ
が、後に通政院に属することになったといひ、また後に述べる通り、蒙古站はその以外に属したものので、こゝに引いたさに兵部に属せしめることになったことに依っても知ることが出来る。
 至元十三年諸站都統領使司の管掌の範囲は単に漢地の驛站に止まり、「至元七年上命設本司」、「掌斡斯渾站乙」と見えているのはその証であるから、蒙古站はその以外に居るのであって、当
 至元年に漢站を改革し、霍木海をして使臣を起す数站鋪馬の強弱を提督せしめたことは前述の通りであるから、当