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0095 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 95 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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その翌日の條を見ると、

四月二十日中書省官奏、昨奉旨、以処赤事、屬于兵部、今右丞相鐵木迭兒等議、漢地之驛站合〔兵部管領。其鐵
烈干・納千隣・宋篇等處蒙古站赤、仍付〔通政院官。上曰、何必如此。但令罷去通政院憑謀兵部管領。其鐵
と見え、「元史篇もこれを採録している。かゝる次第で通政院はこの際全く廃止せられ、その所管事項は總べて
兵部に屬せしめられることになった。
然るにその後僅かに三ヶ月を経た同年間七月十九日に至って、また通政院が立てられ、蒙古站を管轄することに
改められた。即ち経世大典站赤五に

〔至大〕四年七月十九日都省復奏、復立〔通政院〕、管勾達達站赤。
と記されてある。このことは元史百官志通政院の條にも、

〔至大〕四年龍、以其事、大都及上都共に兵部通政院を置き、止管〔達達卽ち蒙古の驛站を管轄することになったものである。
と見えてゐるから、仁宗本紀には此時さ上都にのみ通政院を立てたことが記されているが、前々からこの官衙両都に置かれ
至元二十九年には両都共にこれを置いたのであったらしい、蒙古站赤は必ずしも上都近くにのみあったかについては、その一派
多分此時にも両都共にこれを置いたのであったろうと考える。何故にかく存廃頻りに革まったかについては、その
事情を知り難いが、思ふに四月にこれを廃する時に於て、匹に存立を主張した人もあったのであるから、その一派
の希望が主なる動機となったものであらう。決して兵部の管轄に移ったが爲に更に情勢を生じたとか、紊治不行届

元朝驛傳雜考

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