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0103 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 103 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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至大四年七月に通政院が廃せられ、天下の站赤を兵部の所管に帰することになった次第は前に述べたことであるが、その七月に中書兵部から駅站の提調の最も重要なる旨を都省に呈達した時に
都省提調、「至大元年正月十九日経、奏准聖旨、令」路府州縣に達魯花赤長官提調站赤、「行移合属」
飲依提調、人馬・船車・舗陳・什物・廏舎、領、令」二「如法」或不調差官點視。但有不完。決「罰欄附。

と見える。ここにいふ〔経世大典〕
〔赤五〕〔至大元年正月十九日〕

といふ聖旨は経世大典には載せてゐないが、併しこの聖旨のあつたことは元典章三十六站目に属する「採治站赤」といふ子目に至大元年正月初九日に奏して推された事理として記してある中の「長官提調站赤」といふ子目の下に、「至大元年正月初九日中書省奏過事一件節該」として記される所を見ても明らかである。ただ前者には十九日と記され、後者には九日と見えるが、これは何れか一方の誤と思はれる。それを至十九四年通政院に代つて兵部が駅站を管轄するに至つてからも、「隨處の站赤の提調は兵部の下に従来通り路府州縣の達魯花赤長官に代つてこれに任じたものであつた。ここには特に站戸の管餽についても記されてゐないが、然も
かく慶元年正月に江西行省が站赤を提調する以上、站戸の管餽もこれに帰したことは「長官提調站赤」といふ子目の下に見えるが、それには依然として州縣の提調に従ふべきことが定められてある。その後八年の間はこれに關する聖旨の大略が経世大典
皇慶元年正月に站赤の提調が中書省の管章の前記「長官提調站赤」といふ子目に見えるが、それには依然として州縣の提調に従ふべきことが定められてある。その後八年の間はこれに關する聖旨の大略が経世大典
が、英宗の位に即いた年、即ち延祐七年の十一月に至つて、通政院官学繋側の奏上の英宗に關する記事を見ると

六五

元朝驛傳 維著