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0125 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 125 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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の飛脚が急遽鋪兵或は急遽鋪丁と稱するものに當ることは、點の疑もない)ことである。オドリク(Friar Odoric)
もその紀行馬站が記し、「いで飛脚差立の有樣を述べて、彼等は幾つもの鈴を附けた帶を締めて居る。
ある特定の飛行馬站の距離は大低三哩ばかりであるが、その聯驛に住んで居る(Yule, Cathey, vol. I, 138; New edition, vol. II, 232-233)
れ等の聯合相互の距離は知らない。この chidebeo といふ名については、ニュールは注釋を加へてロフ王(Shah Rokh)の紀行に見え
るいうる。これであるが、その語原は知らない。たゞイブン・バツタ(Ibn Batuta)が印度の邊驛を dawruh と
kiditu に居るのは、多分 kadi-dawuh でありといふて、オドリクの kidebeo に大であると見たが、その後シュレーゲ
ほのめかし、コルフィニ(Cordier)は急遽鋪であるということを當り、辯等に當り、fou
ル(Schlegel)がロフ王の kiditu は急遽鋪であるということを、シュレーゲルの所論には氣づかなかったが、Cathay の新版前記の個處が余
は前に聯傳考を草した時に、も共に急遽鋪の音
を証に聯傳考を草した時に、ロフ王の記事にも kiditu は yam(驛)と、yam との間に在
と記され、またその相互の距離を述べ置いた。ロフ王の記事にも kiditu は yam(驛)と、yam との間に在
これ等の記事に依つて、急遽鋪の置かれた道筋は決してこれに用ゐるものならなかつたことを明瞭に知り得られるであらう。ここに印出されてあ
つた道筋をそのまゝこれに用ゐるものならなかつたことを明瞭に知り得られるであらう。ここに印出されてあ
この道筋が即ち當時の最も重なる通路たる孔道であつたに相違なく、さうして急遽鋪もまたこの孔道に置
樂大典の中には、その卷、萬九千四百二十六に祈津志の站に關する部を收め元代に站の置かれた道筋を一々掲げ
ある。この道筋が即ち當時の最も重なる通路たる孔道であつたに相違なく、さうして急遽鋪もまたこの孔道に置

元朝驛傳雜考

八七