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0128 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 128 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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鋪兵籍に、「每鋪歷鋪丁五人」と見えるが、これらの鋪丁が歩丁であったことは、その至元二十八年の條及び元典
章三十六驛站門の雜例易目、踐打鋪叟の條下に收めてある急遞鋪に關する規定の一つに、
鋪兵須壯健著走者一、不堪差人隨卽易換。
と記されてあるのを始め、諸箇にその徵證易存するに反し、騎丁を用ゐたことは見えず、またもし騎丁を用ゐたとすれば、當然各鋪舍に養はれねばならぬ馬匹に關する規定が存すべき筈であるのに、余の知る限りこれに言及した記録も見当らない。オドリクが特に cliducio 即ち急遞鋪に步丁(runners)が常置せられたことを調ひ、ロフ王の記事に見常のある記事に步丁と解すべき敍述を有し、余の知る所では唯だ一顆の記録にのみその使用を認すべき記事が存して居る。即ち前引元倉庫の踐打鋪叟の條に提置官に對する治訓の條を揭正しいと見なければならぬ。然らば急遞鋪には絕對に馬を用ゐなかったかといふに、
〔編者注、急遞鋪馬到。湖廣行省咨女。爲辭 圍
大德六年四月江西行省准申書省割付咳。〔急遞鋪馬到。
千元鋪殺到傭人口。不公等事奉。書省割付咳。兵部呈。承 奉 中書省割付咳。承此 云々。
と記されて居るものである。ここに明らかに急遞鋪馬が記されてある以上は、少くとも大德六年頃には急遞鋪にも馬を用ゐて遞傳したものがあったことを否定する譯には行くまい。併しながら急遞鋪に
従事したことは、上に述べたやうな次第で疑無いとすれば、かく急遞鋪馬を用ゐたことは寧ろ例外の場合と認める
か、もしくは大德の頃に至って南方の地に於てのみ馬遞の方法によったと見るかの外あるまい。一元史急遞鋪兵篇に

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