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0133 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 133 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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牌もあるとのことであるが、これも今直ちにそれに關する解說を接手し難い。
 即ち余輩の知るところは上揭の諸牌の中、(一)素(銀)銀牌、(二)虎頭金牌、もしくは虎頭額中の一種及び、(三)虎頭銀牌か、もしくはマルコ・ポロのいふ鑰匙銀牌からの三種に過ぎない。然しながら金鉑ち素金碑或は平金牌といふものと素(金?)銀牌との相違は全く知り得なかつた類に屬するものは、海青牌及び圓牌と稱せらる、ものである。

 ロ 海青牌制定の時期

 海青牌が何時制定せられたかに就いては明かにこれを記してゐるものがない。元史卷百八人特薛禪傳に、その孫に當る陵見火都の事績を記し、"以征功。"在"太祖朝"。"遷授左丞相。"偕、千戸。"仍賜"以後金銀章及金圓符海青圓符"
 陵見火都者亦按陳之子。 以征功者亦按陳之子。

 五驛馬奏六の初出である。 箭内博士はここに記されてある金銀字海青圓符五を金銀字圓符と海青圓符との兩者と見えるのがその一而にその初出である。

 と見えるのがその初出である。 箭内博士はここに記されてある金銀字海青圓符五を金銀字圓符と海青圓符との兩者と見るが昔に、またこの記事を信ず可らずと

 字圓牌といふのは、世祖の至元二十一年以後に制定されたものであると見るが昔に、またこの記事を信ず可らずと

 に區別し、一而にその初出である。 箭内博士はここに記されてある金銀字海青圓符五を金銀字圓符と海青圓符との兩者

 してゐる。けれども陵見火都に圓符を賜うたといふ記事は、たどここに記されてあるだけでなく、元史同傳にはこれに續いて陵見火都の子阿哈嗣馬の事績を記し、その中に