National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0147 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 147 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

料によりて推し得る限り、所謂海青圓牌・海青金鎏字圓牌といふものに外ならぬ。これ余が海青牌と圓牌とを以て
元覚見次都傳に、太祖のことして稱呼を異にしたる圓外なるのであらうと見る所以である。従つてまた前に見たる
元史皮次都傳に、金字組の海青圓符と記されてある「金銀字海青圓符五」といふものも、金銀字圓符と海青圓符と
ではなくして、金字組に対して隠の存するものが、当を得たものであらうと考へたい。
但しこを隆興行省に給した記事があり、また経此大典告示三、同年五月十七日の條に、即ち元史世祖本紀に至元十八年十月に
海青海青牌を隆興行省に対しても隠の存するものが、当を得たものではない。
倘書何某奏、今大都中書省臣倡合議、「符」一面或両面造成二、即至延迄上。
盗之也。有、議賞臣民倡合議牌、「符」無令、因「公差去之人、特迄」。
阿合馬之言是也。至元十六年以来圓牌の名が行はれたにも係はらず、不「必」
と見ゆるものこれである。こゝに試みたる解釈は到底成立すべからざるものはたとさうである。その十八年になは比の如く海青牌の
名が存したとすれば、至元十六年以後圓牌の名を記したものはたとさうである。然しながら余の知れる限りに於て
は、現存史料に於て至元十六年以後従来用ゐられた名によって海青牌と記した場合に外ならぬと見ることも、必ずしも
は圓牌といふべきところを、偶々後者に記されてゐる海青牌納入の手続は、「先きに定められた所に曾て旨を奉じたるに」、といふのはこの名
理が無いではないが、如何く、至元十八年五月よりも以前から聖旨によって定められた海青牌納入についての面倒なる手続は、
つても明らかであるが如く、至元十八年五月よりも以前から聖旨によって定められた海青牌納入についての面倒なる手続は、
が用ゐられたものと見る証拠と局すには足りない。思ふに覚で定められた海青牌納入についての面倒なる手続は、

元朝驛傳雑考

一〇九