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0156 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 156 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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二 元朝に於ける站の沿革

一 起原(太祖時代)

 站赤が驛傳の譯語にして、站が驛の意を有すること論なり。支那に此の制度の存するは上述の如し、されば蒙古之を行はれし驛傳其のものも、もとより驛傳の譯語にして、站が驛の意を有すること論なり。支那に此の制度の如く、次第は上述の如し、されば蒙古之を行はれし驛傳其のものも、もとより支那の制度の模倣に過ぎざること論なり。

 司使敎官より職道人の草に記する所によれば、「兒郎野之道十里有駅廬、廬有飮食、三十里有宿、宿有路室、路室有委、三十里有市、市有候館、候館有異客、以後異代の匹に此の制を具へ」とあり、以て國家の必要に應じたり、「云云」と、又漢人の朝にのみならず、前述の如く拓跋魏もの如き制度を具へその他遊金の如くも赤之に意を用ひたる為を知る、されどもその制度も極めて漢然たるものにして、その完全なる設備をもって遺憾なく其の要を充たす近代には始めて成吉思汗嗣起するや、その英才は斯くも文明的蘊蓄をその國内に導かざるを得ざるを観察したるが如く、

 西紀十三世紀末に當り、漢北蒙古の地に成吉思汗嗣起するや、その英才は斯くも文明的蘊蓄をその國内に導かざるを得ざるを観察したるが如く、

 可らざるを観察したるが如く、「成吉思汗は支那の制に倣ひ、公務の爲に往来する使者の旅行を容易ならしむる爲に、」波斯史家アライ、エッチン(Alai eddin)の記述したるが如く、波斯史家アライ、エッチン(Alai eddin)及び、ラッド、エッチン(Rashid ed din)の記述したるが如く、

 公道に驛舎を設け、驛馬・使人の食料、運輸の車輛等は、皆其の地に住むもの負擔を任じ、面して此等の爲に、公道は嚴重なる監察を付して之を守り、從来慣行せし盗賊の馬匹・驛舎を用ふるには、一定の條例に據しめたり、道路は嚴重なる監察を付して之を守り、從来慣行せし盗賊の馬匹は

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