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0157 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 157 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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此の時より除かれた①」と②ドーソン蒙古史』第一巻四十六頁。之即ち蒙古に站の設けられし初めにして、實に
また元朝驛傳の制の濫觴なりとす。もとよりかかる事業は只た漠然中國に倣ひしものには非ずして、漠北遊漠
の地を往來する使節の、常に食物・乘馬等の缺乏に苦しみ、もしくは所在盜賊の危險に遭遇するものの多く、罕旅の
こと爲に機を誤るが如きものの履々となりしを以て、茲に支那從來の法に則りてかかる制度を施行せしものに外ならず。

二 蒙古時代の站(太宗時代)

元朝に於ける站の起原は此の如く太祖の時にありと雖、其の有様の如何なりしやについては、何等之を知るべき
史料の存するなし。次の可汗即ち太宗の時代に至りて、始めて少しく其の消息を知るを得べし。西紀一二三四年の
頃太宗詔を發して、國内に站を設立すべきを命ぜり。『元朝秘史』の記する所によれば、「使臣往來、沿途性靈
過、事也還了、百姓也生受、如今可教各千戸毎、出人馬、立定站赤、不差官性靈、須要差站馬、不許官性靈處
經過」と。これ使臣の往來に當り驛站の設備を缺き、爲に百姓を苦し、また緊急使命の運延を生ずるものあひて、各千
戸の長たる官人に命じて、沿道所在に驛舍を設けしめ、一旦緊急を要するものを写りては、諸所に人馬食糧の飲食は、以て太祖
の意に任じたる事の普通に屬する時のことにして、常時蒙古の首都、實に蒙古の首都は盃々擴大せられしを以て、新に此の如き命を發して、支那の境上に達する間に、三十
時代の設備を補ひしものなるを知る。實に蒙古の首都はオルコン河畔の和林より、支那の境上に達する間に、三十
七個の站を設けしは、此の翌年卽ち一二三五年のことなりとす。

一一九