National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0184 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 184 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

証據の存しないことである。

かも知れないといふ想像も許されねばならぬことになる。要するに祕史には西紀一二〇年鶏の年(宋の慶元)以後
トルコ族にも突厥より以前に既に之が存して居た
といふ想像が許されるならば、
はれる、果して然らば附近の民族から習つたに相違ないが、その名稱から推するとツングース族からではなく、トル
コ族から傳へたものであらうといふのである。

十二支歲の名によつて年をしるして居るが、これはその當時の人も考へて居る如く、他の民族から習つたことと思

「祕史に見ゆる蒙古の制度の中親衞の制の如きは最も注目すべきもので、功臣の賞を
定むる語動は蒙古の史にありて典故に比すべきものなり」と說かれた、那珂博士も匹に「親衞の制、功臣の賞を
中には蒙古語動は蒙古の史にありて典故に比すべきものなり」と說かれた、那珂博士も匹に「親衞の制、功臣の賞を
して解釋としては說明しかねるもので、然るに此の制度に付してある種々の名稱を
知り得ないが、匹に此の種の名稱が存したとすれば、これに相當する制度もトルコの制度より古の時代に見え、もしくはトルコ語の
またやがてこれが蒙古の制度の基となつたものであるとも論じ得られやう。

さてここに親衞の制といふは祕史に客失克譯して、直班といへる制で、元史兵志には法薛と記し、猶言番直宿衞
也と解き、成吉思汗實録には番直と客失克譯してある。此の制度はさきに前述の如く、西紀一
一〇四年成吉思汗の乃蠻征伐の際に創設せられたもので、當時八十人の客卜帖兒勒(成吉思實録に宿術と譯す)
七十人の土克谷元惕(待衞と譯す)及び多分四百人の察兒赤(箭筒士と譯す)とから成つた番直の制であつて、そ