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0201 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 201 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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と曰ひ、此の時より Salmga 河上の根據地を稱し、南に遷し、獨樂水即ち Toli 河邊に據ると爲せり。
 此の年に於ける薛延陀同僚等の東突厥に對する背叛は、兩唐書突厥傳にも明記せられ、當に此等の一部のみなら
ず、抜野古の如きも亦其の中に在りたるものなりとす、而して此の背叛は頡利可汗の暴政に基くものなるが如く、
通鑑は貞觀元年の條に「頡利政在、委信之、稍専國、又委政諸胡、斥遠突厥、下堪苦、胡性貪悖不用、唐書突厥傳真觀、
る條に「數獵獲不信、號令無常、才大鐵、裒斂苛重、委政諸胡、又委政諸胡、稍専國」と日へるは、其の暴政の一班を語れるものなりとす
冒昏、此の馬烏鐵山の戰として記され「貞觀元年、突厥薛延陀等鐵勒諸部、即ち回
 此の戰は唐書同史郡社爾傳の傳に「此の關係上、此の際突厥に於薛延陀屬軍たりしもの、即ち回
社爾助擊之、弗圖書阿史郡社爾傳余、明年鐵可汗傳記さる、西保可汗浮國域」と見ゆ、社爾は突厥骨同經略を分析したること唐書同傳に記さる、所なれば、此の如くにして天山地方に送られたしものなるべく、
し。當時突厥の頡利可汗は、漠南に在りて唐と攻爭し、欲に谷設阿史郡社爾傳は此の如くにして天山地方に送られたしものと見るべく、給されたる
れば、漠北に於る突厥の根據地方は、茲に至りて大に勢力を發揮し、强盛の地歩を固るるに至りしものなりとす、然れ
以來突厥に附屬したりし回鶻部僧は、最も優勢なりしものは薛延陀にして、回鶻阿史郡抜野古等の諸部が東突厥に叛きたる
ことも、當時漢北に於る鐵勒諸部の中、最も優勢なりしものは薛延陀にして、唐書阿史郡社爾傳に、「謂諸部曰、始爲鳳、破吾國
等に破られて西したる後、西突厥の援兵に隨ひて、漸く其の地を占め勢を恢復するや、唐書阿史郡社爾傳に、「謂諸部曰、始爲鳳、破吾國
者延陀也、今我據西方、而不平延陀、是忘先可汗、非孝也」と記せるものは、薛延陀が此の板蕩の魁を爲せるものの

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