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0203 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 203 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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汗、遺統乾乾俟骨同羅混泥阿跌等部」と記せども、亦真觀二年の入朝を記さず、されば此の年の来朝は或は唐書編
者の臆斷に出でたるに非ずやとも疑はるれど、通典に芸薩が天山に突厥の軍を破りしことを記したる続きに
「廻乾由是棄其衆所於薩証院、號烏活顔利髮、仍遣使朝貢」と記せり、此の朝貢は年代上唐書の真觀の記
事と臨ずべきものなれば、必ずしも唐書の記事を以て臆可らず、然も此の後莫賀咄の時代に於て、両者の関
係が如何なりしかは稍く之を全く唐書に依らざるを得ず、之をして廻乾俟骨同羅阿跌等の部を統
と回僧との姿渉の生ぜし初めと見んとす、僅に舊唐傳に如く北突厥の莫賀可汗と爲し、之をして廻乾俟骨同羅阿跌等の部を統
知る可らず、僅に舊唐傳に如く北突厥の莫賀可汗と爲し、之をして廻乾俟骨同羅阿跌等の部を統
べしめたりしことを記し、舊唐書に東突厥と記せるものは、新唐書に北突厥と稱するものなれば、
するのみ、册府元龜が西突厥莫賀咄と記せるは、何れか一方の誤と思ふに可らず、信ずるに反し、
し、册府元龜が西突厥莫賀咄と記せるは、何れか一方の誤と思ふに可らず、信ずるに反し、
突厥の莫賀咄を可汗としたりしが如きは勿論れ、莫賀咄が西突厥莫賀咄と記せるは、何れか一方の誤と思ふに可らず、信ずるに反し、
可汗は真觀四③の諸突莫賀咄の爲に殺され、莫賀咄は册府元龜が西突厥莫賀咄と記せるは、何れか一方の誤と思ふに可らず、信ずるに反し、
を請ひこともなく記さるれば④、こゝに莫賀咄と日ふは册府元龜が西突厥莫賀咄と記せるは、何れか一方の誤と思ふに可らず、信ずるに反し、
されば顔利可汗降伏の後、一時西突厥の莫賀咄と日ふは册府元龜が西突厥莫賀咄と記せるは、何れか一方の誤と思ふに可らず、信ずるに反し、
勤諾部唐書に見ゆる如く顔利可汗降伏したるものとなるべけれど、莫賀咄は此の絡可汗候も無く殺され、同僧を始め乃西突厥思結阿跌等の鐵
と両唐書に見ゆる如く顔利可汗降伏したるものとなるべけれど、莫賀咄は此の絡可汗候も無く殺され、同僧を始め乃西突厥思結阿跌等の鐵
勤諾部唐書に見ゆる如く顔利可汗降伏したるものとなるべけれど、莫賀咄は此の絡可汗候も無く殺され、同僧を始め乃西突厥思結阿跌等の鐵
と両唐書に見ゆる如く顔利可汗降伏したるものとなるべけれど、莫賀咄は此の絡可汗候も無く殺され、同僧を始め乃西突厥思結阿跌等の鐵
如く回僧の降伏後、薩莫陀の下に屬するに至りしものなりと云ふ。

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