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0214 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 214 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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龍朔中婆固死、妹比栗毒率領媼顔、與同羅僕固兄逃、高宗奔鄭仁泰、平懷固等、比栗害敵走

と記せり、此の事は新唐書固倆傳には何等の記載無く、又通典、登日九狄突厥、及び舊唐書突厥傳には、「自永徽以
来(二)(作鄭書)此の事は新唐書固倆傳には何等の記載無く、又通典、登日九狄突厥、及び舊唐書突厥傳には、「自永徽以
来(二)(作鄭書)十餘年、北鄙無倆道行軍大總管に任じ、蘇嗣業・阿史那忠等と共に鐵勒を討しめ、翌三年三月庚寅、龍朔
仁泰は鐵勒奚賈(十餘に敗れりと記し、而して此等の事實、舊唐書の鐵勒傳・同羅僕固に共に邊
の鐵勒征伐と天山に敗れりと記し、而して此等の事實、舊唐書の鐵勒傳・同羅僕固に共に邊
鐵勒征伐の事を記せる時、仁泰を命じて征伐せしめたる事實に相違するものなること、即ち比栗恙が回鶻を領し、新唐書の鐵勒傳に共に邊
を犯したる事の記事は、此の際における九姓鐵勒の難敵が、回個の主動に歸因するを如くにして、次編に於て論證せんが如くにして、
實に舊唐書趙貞傳及傳の記する所、即ち比栗恙及び何力僕、新唐書の鐵勒傳に共に邊
と。

此の時比栗毒の下に附して唐に叛きたる諸部は、龍朔二年鄭仁泰等に擊敗せられ、しかし、
ば、此等の諸種を擊ちて、一たび天山地方に放れて後、更に深く唐に追撃せられ、翌三年春正月には、鄭仁泰は更に
板栗の餘種を擊ちて、一たび天山地方に放れて後、更に深く唐に追撃せられ、翌三年春正月には、鄭仁泰は更に
瀚海都護府移鐵勒諸部を受定せ(2も)唐書卷十八に「龍朔三年二月、移燕然都護府、改名雲
中と記述せる、其瀚海都護府の結果に外ならず、改名雲中都護府、仍以磧爲界、

中と記述せる、其瀚海都護府の結果に外ならず、改名雲中都護府、仍以磧爲界、
然るに此の征服の結果に外ならず、一且表しなたる東突厥は、可汗獸廢の下に其の勢力を恢復し、地縱東萬里、諸蕃悉
勵命に武后の時に至りては、一且表しなたる東突厥は、可汗獸廢の下に其の勢力を恢復し、地縱東萬里、諸蕃悉
(新唐書(回鶻傳)と記さるゝが如き隆運を拓くに至つしかば、回鶻も亦た其の壓迫を蒙り、遂に前記新唐書回鶻傳に