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0216 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 216 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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第五章 伏帝匐・承宗・伏帝匐難の時代

 舊唐書及び册府元龜によれば、新唐書回鶻傳
及び唐會要にも、獨解支の子伏帝匐、伏帝匐の
子承宗が相繼ぎしことを記せり、伏帝匐の在世は
新唐書聖元年、承宗
は開元三年以後、開元七年(七一九年)に及び、同年伏帝匐難の繼ぎしこと唐會要(卷八)及び册府元龜(卷九四)に見ゆ。

 其の後を受けて開元十五年(七二七年)に及び(同年伏帝匐、
獨解支の南徒後、舊書王君㚟傳に「承宗を呼びて『薩那大磧の獸磧を殺したり』と稱するに見えるれども、之につきては次
篇に述べたるが如く、唐が此の際力を盡したりし翌年、此の別部なりしものと
するものなること、又南唐書册は其の部酋となり、同鶻中伏帝匐同承宗、
書回鶻傳には伏帝匐は其の同鶻が此の部酋となりし翌年、唐が此の別部なりしものと
して、遂べたるが如く、北方に殘留したる別部なりしものと
や、可汗は復仇の師を Sačäng 河地方に進め、鐵勒諸部を撃ちたるに
て、唐に來歸するに至りしものなるが如く、
と記せるは、恐らく新唐書回鶻傳に「於是厥磧交此の際、突厥部移健銀利發(Iltäbär)の Iltäbär は數百人と共に東方に(逐部と共に
軍北」と記せるものと、相應ずるものなるべし。

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