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0225 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 225 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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可汗」と記せるものは、册府元龜夷蕃篇に、天寶四載二月のこととして見ゆるが如きによれば、「此の事件は册書夾
中に見ゆ」、「三歳と見る乃以て正しとせる可らず、されば此の事件は、拔悉蜜回鶻等が、突厥の鳥蘇米施可汗を
殺した後」、同年中に唐に来り、唐は之に奉義王の假を賜ひ、「次で册して懷仁可汗と稱するに至りしものと見る可く、斯くして骨咄祿毗伽闕可汗と稱するに至りしものと見る可し。
早くも同年唐に来り、唐は之に奉義王の假を賜ひ、「次で册して懷仁可汗と稱するに至りしものと見る可く、若し其の他の
傍て此の際突厥が可汗と稱するに至りしものと認むべきか、册して前部の可汗の位に上りしものと見るべきか、か
諸部の上にも可汗として賴するに至りしものと認むべきか、決して新たなる事件に非ず、只唐の封冊の有無の相違に過ぎざれ
る例の如く此迷度の時にも可汗に存在することにして、始めて之を統一するを得るに至りたる
ど、後の場合になりとすれば、新唐書回鶻傳によれば、突厥が拔悉蜜
ものにして、後其の勢力貢展の上に称するや、實ら其の勢力貢展の上に称するや、實に北方諸部中に雄視したる可らず、
の可汗を倒し、自ら骨咄祿毗伽闕可汗と稱するや、

南居突厥故地、後僕骨・渾・拔野古・同羅・思結・契
曰阿勿嗢、曰葛薩、徒牙骨咄祿毗伽闕可汗之間、……忠有九姓地;九姓者曰藥羅葛、曰胡咄葛、曰啒羅勿、曰貊歌息訖、
曰葛薩等、曰葛薩等、後僕骨有拔悉蜜;藥羅葛回紇姓也;與僕骨・渾・拔野古・同羅・思結・契
曰阿勿嗢、曰葛薩、徒牙骨咄祿毗伽闕可汗之間、……忠有九姓地;九姓者曰藥羅葛、曰胡咄葛、曰啒羅勿、曰貊歌息訖、

芸六種相等、不列於數、後僕骨有拔悉蜜;藥羅葛回紇姓也;與僕骨・渾・拔野古・同羅・思結・契
と起し、突厥の統ぶるに至りたるは、焦唐書以下の九姓と、拔悉蜜・葛邏祿・の一部落(の一部分③)として「新附の拔悉蜜・葛邏祿」と區別し、通
し、然るに此等の九姓といふものは、焦唐書以下の九姓と、拔悉蜜・葛邏祿・葛邏祿と區別し、通
にも、懷仁南搜突厥故地、立牙帳於烏德犍山、舊統藥羅葛以下に「本九姓部落」として「新附の拔悉蜜・葛邏祿、凡十一部、各部都督一

唐代回鶻史の研究