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0229 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 229 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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陀の二部は可汗の號を去り、乙失鉢(所都突厥に臣事したりしが、芝に「在營軍山者」と曰へる
督軍山者、東附始單可汗、乙失鉢「所都突厥に臣事したりしが、芝に「在營軍山者」と曰へる
は、西方の「在金山者」と共に、鬱督軍山地方に在るもの「意なるべければ、此等の諸部は、当時囲
ち唐初の頃にも、略ぼ此の地方に擁りしものなることを疑無きが、更に溯りて隋書識勸伝の記事を諸ると、「薬楽河
北、有僕骨・同羅・奚紀・拔野古・覆羅、並魏侯斤、衆陵・吐如紇・斯結・渾・薛延陀等、此の諸山則ち靈督
記し、此等の諸部の、窟洛河即ち Tola・河北方の地方に居りしものなることを示せり、假令今精密に其の各部を定
め能はざるにせよ、略ぼ此の地域の間に互りたるものなるべし。
も、亦少くとも略ぼ此の地域の間に互りたるものなるべし。
軍山地方に在りし葛邏禄の一部と共に、葛邏禄を推して見て、決して眼無かる可く、従て当時可汗の勢の及びたる地方
此の如くにして葛邏は九姓可汗の位に互りしが、此の際更に Tola 河畔より更に置下して牙を Orkhon 河と烏
德讓虢山則ち Ütükän 山との間に定めたるものにして、前記の如く唐書回鶻伝に葛邏禄が拔悉蜜の可汗を殺し、自ら
骨咄虢伽闕可汗と稱するや、従牙鳥德讓山昆河之間
南居突厥故地、此の地が今の Kara Balgasun の廢墟に相當するものなるべく、
と記せり、此の地が今の Kara Balgasun の廢墟に相當するものなるべく、
地方に在りて諸部を統一し得たるものが常に牙營を此の地方に定むるに至ること、前には突厥・薛延陀、後には蒙

唐代回鶻史の研究

一九一