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0243 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 243 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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に此の時代には回鶻の勢力は全く唐を抑壓し、唐は其の下に在りて、辛ふじて社稷を保つに過ぎざりしが如し。天下
常時回鶻の唐に對する積極の有樣は詳かに諸史の戰ふる所にして、寶應元年九月には、可汗は之をして舞討伐の爲に、史朝義討誅せしめんと
し、其の能はざるや、王に意促せし難王道「德宗の」が陝州近傍に於ける可汗の營を訪ふや、可汗は之をして死に至らし
め、次で回鶻軍の進みて洛陽に入るや、洛陽の子女其の殘忍の行爲を榜ち、聖善・白馬の兩寺内の陋平ぎて可汗
等は火を兩寺に繋ぎて萬餘人を殺し、河陽に匝するや、警を百餘里の間を劃勃して史朝義の兩門を刺し、
の國に歸らんとするに當りては沿道の官吏を毆撃し、大膳七年正月には、朱雀の兩門を刺し、
回鶻の使者は長安に當りて、子女を掠め、之を禁ぜんとしたる官吏を毆撃し、且つ金光、
同年七月交摂に鴻臚寺を出で、其の宿長は鎭設を逃び、其の商個人の公に訴ふる囚人を奪ひ、同年には其の部人が長安にて白蕃人を刺し、
有司の之を捕へて獄に繋ぐや、殊に注意すべきは、「顯宗代宗以來、同等の商買人の公に訴ふる囚人を奪ひしものが如き、今一々其の例を擧ぶれば頗に煩え
ぐも」至る所に貪賄を恣にし、兩京太原等を苦しめ、大に唐を苦しめ始め、
諸方に滯止するものの少なからざりしが、此等の商買が國勢の盛大を盛みて、至る所に貪賄を恣にし、冊金使を送りたることを記せる頗し続き
たることとなりとす。新唐書回鶻傳に建中元年(四代の宗年)居質鳳凰垂厚」として此の時以前に於常に冊金使を送りたることを記せるが、通
「始回乾至中國、常參以九姓胡、往往建中京師者、各服其服、無得求賞、先是問乾留京師情愿者、常千人、商胡通
鑑大曆十四年七月庚辰の條下には、「乾回乾諸胡在京師者、居質鳳凰垂厚」として此の時以前に於ける回鶻情愿者、常千人、商胡通
儒監前雜居者父倍之、縣官日給薹糒、雍賀遷、開第舍、市肆美利皆歸師之、日縱貴橫、更不敢問、或衣華服、諸妻

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