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0248 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 248 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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書を載せたる中に「頓覚賀新立、移地健有學子、及國相梅錄、各雄兵數千人相攻、國未定」と記せり、新唐書回鶻
傳に、同じく光成の上言を録して「今其國亂、兵方相加」と曰へるのは、即ち之を約筆したるものに外ならず、
此の動搖が何時鎭定に歸したるかは明かならざれども、此の年六月京兆尹源休を使とし、可汗を册して武義功可
汗と爲したる所なりしを推知し得べし。
 此の際唐は回鶻内部の動亂に乘じて、從來回鶻に對したる態度を更め、乃ち惡く之を斬りしかば、張光晟は、回
汗と爲したるより考ふれば、當時其の位置は既に確立したるものなりしを推知し得べし。
 此の際唐は回鶻内部の動亂に乘じて、從來回鶻に對したる態度を更め、乃ち惡く之を斬りしかば、張光晟は、回
僊、舊唐書張光晟傳、同書靈休傳の等しく載する所を見、逐に惡く之を斬りしかば、張武に鎭を機として、回鶻
の年間の嘗長等が多くの婦人を掠奪して歸らんとするを見、逐に惡く之を斬りしかば、張武に鎭を機として、回鶻
と絶たんとし、中人を其の國に遣して事情を說述せしめ、既に回鶻の使を奉じて其の企圖を實行せしめたる曲の回鶻に在りしが如く、還
りて命たし、更に太原に待たしむるに至り、然れども當時の形勢は向德宗をして其の企圖を實行せしめたる曲の回鶻に在りしが如く、還
 忍年に至りて更に源休に回鶻に至らしめ、先に殺したる嘗長等四人の屍を返し、且つ曲の回鶻の意を解さんとせしめたるが如く、
しが、回鶻は之に屈せず、遂に唐に對して、建中三年五月庚午、摂書を被りたる嘗長等四人の屍を返し、且つ曲の回鶻の意を解さんとせしめたるが如く、
 唐は之を拒む能はずして、建中三年五月庚午、摂書を被りたる嘗長等四人の屍を返し、且つ曲の回鶻の意を解さんとせしめたるが如く、
り、此の如くして德宗の施略はここに頓挫を生じ、建中三年五月庚午⑳、以後又もや回鶻は興へ、織に回鶻の意を解さんとせしめたるが如く、
壓したりしならんと思はるゝが、真元三年八月に至りて、可汗が使を遣して朝貢し、且つ和親を請ひ、德宗之を
許すに及び、兩者の間には急に親善の關係を生ずるに至りしが如し、蓋し公主下降のことは前代可汗の骨肉に
行はれたりしが、然も其の公主と稱するものは、實は傍固憫惡の女にして、磨延陵の時に於るが如く天子の骨肉に

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