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0254 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 254 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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昆伽可汗、命検校工部侍骨鴻臚掌御史大夫張茂宜、持節弔祭、册立之……十一年廻怛可汗卒、遣使弔喪、
十一月册元繼臟篇に、「爲受登里遡骨密施合毗伽保義可汗、供録毗伽可汗、命奈正鵬掌御史中丞李孝誠 持節弔祭、册立之〕
と記し、十一月册元繼臟篇にも、前記册篇の記事とは別に、「爲受登里遡骨密施合毗伽可汗、供録毗伽可汗が
元和「六年卒、七年詔册其王、爲受登里遡骨密施合毗伽可汗、十一年卒が
と記せり、此等の兩書は供録毗伽可汗といふもの位を嗣ぎ、其の後初めて保義可汗に及べりとするものにして、
と記せり、此等の如何。

 後、軍「君「登里遡骨德密施合毗伽可汗の死を以て元和六年(八二一年)とするのみならず、此の可汗の死
 册府元繼臟篇の記事は、其の封册の相違を有するものなりと矛盾し、
前に引ける諸書と記事とは大なる封册に於ける記事と好く合致するものなり。
前に見たる册略斯誡可汗の死を記せる場合に於ける記事の載するが如し、然し大中六年に至僅近の會要の記事と好く合致するものあるは、册府元繼臟篇と記事は、其の封册の相違を有するものなりと矛盾し、一方唐會要近の會要の記事と好く合致するものあるは、册府元繼臟篇と同一の史料を其の健に採録せるものなること、次篇に述べたるが如くなれば、繼臟篇は之を遺脱したるものか、若しくは會要と同一に編纂せ
られたるものなるべきこと、此等の兩書に可汗の名を擧げ、又其の封使の名も記せるより
考ふれば、兩唐書が或は之を遺脱したるものならんかとも考へられ、此の部分に於關し、此の問題を解決すべき有力の資料な
 之を的確に論定すべき方法の存せるなし、茲には暫く兩唐書册府元繼封册篇通鑑等に從ひて供録毗伽可汗の死を元
和三年と認め、保義可汗を以て之に繼げるものなりと見るべし。