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0275 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 275 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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と記せり、茲に關二十年と曰へるは、果して何年より數へたるものなるかは、明かに知る可き非れども、假り
に之を最も遲く見て、句錄莫賀が點雲斯を引きて嗢鹿可汗を殺したる前年、即ち彰信可汗の末年(八三九年)のこ
ととするも、一元和十四年(八一九年)即ち保義可汗の治世の末に近き頃、回鶻の一部が漸く輸林を過ぎて前に引き
は引き続きたるものと見る可く、點雲斯に迫られ、而して前に引きたる後唐廟記年録に、點雲斯は既に民の一部を
て、既に回鶻を驅迫して、之を認めざる可らず、保義可汗の紀功碑に見ゆる堅昆征伐は、可汗の即位以前の
事と思はるゝが、然も其の在位中に於ても點雲斯の阿熱が自から可汗と稱して回鶻と爭ひ、遂に保義可汗の
漬裂せしむるに至りたりとすれば、両者の爭は實に年位以前より引き続きて絶えざりしものに外ならざ
りしを知るべし。

斯て回鶻には、遡ると回鶻保義可汗の時代より後は、唐書點雲斯傳に「回鶻稍衰」と記せるが如く、北方には點
雲斯の逼るるあり、而して西方には吐蕃との爭絶えず、此の際葛邏録の如きも、一時保義可汗の征討を被りたりとは
雖、引き続き服屬したるものに非ざるべければ、常に頗る多難の狀態に在りしや疑ふ可らず、殊に照雲可汗
以後三代の間は、内爭紛亂を極めしかば、國勢大に衰へ遂に回鶻と照雲可汗との關係に至りしが、然も此の間も依然として機織し
ては、商從來の有樣と殊なる所無かりしが如く、昭慶四年十二月、翌寶曆元年三月、十月及び十二月に朝貢し、太和元年三月絹
たるを見る、即ち昭慮可汗の時には長慶四年十二月、翌寶曆元年三月、十月及び十二月に朝貢し、太和元年三月絹
六萬疋、同年六月絹二十萬疋、同三年絹二十三萬疋を以て回鶻の馬價に充て、又彰信可汗の時には太和九年六月、
同年六月絹二十萬疋、同三年絹二十三萬疋を以て回鶻の馬價に充て、又彰信可汗の時には太和九年六月、

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