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0281 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 281 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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地方に駐り、「翌會昌二年正月に至りては、遂に邊境を侵寇するに至りしが如し、即ち新唐書本紀には

會昌二年正月、回鶻寇振武、〈八八〉入雲朔、剽橫水、殺掠兵衆、轉侵天德振武間、盜畜牧自如、武宗は、遣内使楊觀、

と記し、同書回鶻傳には

〈八九〉同年回書奉主至渭南、通鑑によれば此の墓三月、陰當應接處置、可汗は更に使を遣わして振武城を借らんことを請ひしが、

と見ゆ、通鑑によれば可借、售書本紀によれば同年三月、「遣當應接處置」と記せり、而して唐はかゝる間にも尚可汗を慰せ

賜可汗書、通鑑如く、售書本紀によれば同年三月、「遣當應接處置」と記せり、而して唐はかゝる間にも尚可汗を慰せ

んとしたるが如く、

邊を侵しめ止まざりしが為に、事實に於ては行はれず、唐も亦初より可汗の態度如何によりて之を行はんとし、此

の意を含ましめて使を發したるものにして、新唐書回鶻傳に「又詔使者、持册赴河東、得其姓、然後受之」と記し、通鑑も同様の

には「册爲可汗」、漕騎作少監兼御史中丞苦鎮(鑑之)、持節駐于河東、得其姓定、潛稽其有變」と記し、

次第を載せ「繼音不行」と記せり。

當時取殘の回鶻の一部が、唐に對しては尚侮る可らざる勢力を有したるものなるべきは、唐がかゝる態度を取り

しことよりしても、全く回測せらゝる所なるが、會と回鶻部中に於ける初めの内証は、自から大に其の勢を殺ぎ、遂に唐をして

之に乗ぜしめ、全く回復す可らざる運命を招致するに至れり、諸書に明記せらるゝ所にして、李德裕の奏によれば、其の天德

の天德に至りしことは、匹に見るべきこと赤前に述べたるが如し、而して德裕の奏には只だ嗢没斯等と記せども、

に至りし、開成五年九月と見るべきこと赤前に述べたるが如し、而して德裕の奏には只だ嗢没斯等と記せども、

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