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0286 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 286 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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と見え、又同書に引ける一品集中の幽州聖功碑に、

 公前後受降三萬人、特勒三人可汗妹、人大都督外案相四人、其他禅王騎将不可僅載

と記さるゝものと疑人、特勒三人可汗妹、従て二年冬三月春の此の記事は、張仲武が其の弟仲至をして部額を破らしめたる時の事か、若しくは之引続きたる時の事を記したるものや疑無し、而して僕の記造の方法は、勿論事件の起りし年月の順序に従ふを以て原則とするものなれば、若し近に記さるゝ年月に就りし事実は、之を一年五月嗢没斯等の降の前に記さるゝ三月春に於る属倶邏…阿敦覊三部以下の州郡に降りし事実は、此の年春三月のことと見るの解釈を以て最當とするを得べし、思ふに「秋頻劫東陝以北、駐牙大同軍北関門山、時會昌三年、三月泰翻頡将勒嗢」場所に入れられたしものにして當當の解釈を得べし、実は「鳥介諸道猶稱十萬衆、従て会昌三年三月迄は誤て此の供邏・阿敦覊三部……相次降於幽州、之を「諸配諸道」と積くべきものに以前之を極めて近接したるものと考察するも、少くとも解釈の方法上より過たるべきを信ず、而して斯く考へ定めたる結果を一面事実の上より考察するも、同僚の同僚の勢至に破られ、逃れ鳥介可汗に殺さるや、此の時即ち三月、其の部下なりし特勤将軍等多く唐に降り、同僚の勢大に殺がれ、五月に至りて嗢没斯等も更に振武に至って降附を記したるものと見たるは、自然の情勢として得たるも
るを得べし、されば通鑑が之を会昌二年五月嗢没斯の降附を記し、降附の事実と見たるは、恐らく正鵠を得たるも
のに非るべく、新唐書回鶻伝が何等の考慮を加へずして、全て奏書の上に約筆を読みたると共に、据るべきに非