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0292 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 292 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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二五四

同僧のみに止まらずして、大暦二年には回僧人の請によりて、唐の内地にもその寺院が建てられ、次で大暦六年には荊(湖)揚(江)越(浙)火羅等の諸地方に及びても、之が建立せられしこと、唐會要及び佛祖統記に明記せらる、所なり。唐は始め西方吐火羅より傳へたる彼の教に對しては、排斥の態度を缺き、開元二十年に之を認め、話を出して、漢人の之を信仰するを禁じたりしにも拘はらず、遂に大暦以後は回僧の勢力に壓せられて、之を認めざるを得ざるに至りしものなりとす。又摩尼教の信仰を禁ずる北宋りしは、唐が此等の摩尼教僧及び回僧人を慮慮して、諸道に配付し、其の財産を収め、又摩尼教的手段なりとす。

烏介駝走東北四百里外、依和解室韋下營
佐て會昌三年正月段武及び殺胡山に大敗したる可汗は舊唐書趙蕃傳に據れば

と曰ひ、新唐書回鶻傳には

可汗收所餘、往依鶻黑車子

と記さる。善唐書の逃れ投じたる部族を今の Bïur ïrï に注ぐ喀爾喀河の上源地、若しくは其の南に接近したる地方に住みたるものと考へらるべきことは、從來既に白鳥博士⑬の考證を如き、又通鑑會昌三年の誤謬にも外ならずして、新唐書に此等の屬せるべき所なり、而して此等の考の據たるべきは、

未だ引用せられざるが如きも、同じ舊唐書中にも本紀及び張仲武傳には⑭、只舊唐書回鶻傳・點斯斯傳たる記に具ゆると同じく、可汗が黑車子に投じたることを記し、和解室韋に依りたることは、只舊唐書紀劉傳のみに於て認められると同じく、過