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0293 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 293 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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ぎざるによりても之を証し得べし。黒車子と日ふものが室韋の一部に外ならざるは、既に通霊会三年正月の條の
註記に「詳考新書、黒車子即室韋之一種」と論証せられたる所なり、而して此の部の據り
たるに地方は、白鳥博士によれば唐末之といふ、余最初に互りては南は張家口及び鑿石口邊の長城より
北方迄互りしものと見ざる可らずといふ、黒車も大體に於て此の考に従ひしものと、されば
たる後、略ぼ東々北の方向を取りて遡れ、黒車子室韋を和原塞草に誤りたるものに外ならずとせば、其の文は「烏介驚走東北約四百里外、依黒車
の記事が、黒車子室韋を和原塞草に誤りたるものに外ならずとせば、其の文は「烏介驚走東北約四百里外、依黒車
子室韋下営」と改むべきものなるべし。白鳥博士は烏介可汗の取処に關しこのみ
依據し、当時可汗が古北口とあるは西北方向八十里の地に誤送せられたものと見られるを以て、此の一節につ
きても、東北約四百里界外口とあるは大水嶋の北の誤なるべきを論じ、博士の誤と認めら れたれども、余輩は舊唐書の過は博士
の依據せられた去幽州界八十里下営の記事に在りて、博士の誤と認めら れたれども、余輩は舊唐書の過は博士
ふるものなるを認めんとす。
(尚此の際注意すべきは、舊唐書張仲武傳及び册府元龜征討篇に
烏介可汗敗、不敢近邊、乃依康居求活、盡徒除積、寄託黒車子部
と見え、新唐書同傳にも
烏介失勢、往依康居、盡徒除積、寄託黒車子部
と記さるゝもの之なり、册府元龜の記事は恐らく舊唐書の記事を其の儘に取り、新唐書も亦舊唐書に依據したる

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