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0300 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 300 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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島介部衆、至大中元年、詣幽州降、留者漂流餓渙、衆十萬所存止三千已下、鳥介姊妹與室韋、寫廻留相夫樓者
逸鑑驅遣語親領、殺鳥介於金山、以其弟特勒邊盆嗣可汗
と曰へり、之に據れば鳥介の部衆は大中元年(八四七年)の會員幽州に至りて唐に降り、燦猶したるものも漂流
し或は勿餓渙に暗、僅に三千に充たざるに至りしが、遂に逸鑑驅の爲に殺さるゝに至れりと謂十ものなれば、可汗
の死は勿論大中元年若しくは其の以後の事と見ざるを得ざるものなり。何となれば售書経絡師は更に之に續きて
以て偏特勒邊盆嗣可汗、復有衆五千已上、其食用粗稍拮取給於愛王碩舍朗、大中元年春、張仲武大啟愛衆、其
と記せり、此の如く大中元年鳥介の部衆が幽州に詣りて降りし後、同年、新に邊盆可汗が立ちしに、同年
春張仲武が愛を征伐し、之を破りし爲に、此の時の關係に於
て餘りに相接し、殆んど信を措き難きと共に、かく大中元年成る年を重記するは、此等の事實が、其の日見ざる可らざる
ものなれば、張仲武愛を征伐し、而して此等の事實の中、大中元年に於て鳥介の部衆の幽州に降りしこと
に就きては、本紀、回鶻傳等にも記され、辯ふ可らざる事實なれども、大中元年に。於て鳥介の部衆の幽州に降りしこ
とに就きては、其の下に記されたる事の無く、殆んど其の事實たるを信ずる能はず、既に此の部衆の幽州に降りしこ
とすれば、其の事實も亦之を記するものも無く、殆んど其の事實なれば、可汗
年衆を征したる事實は涙を拭む可きに非ざれば、可汗の死も亦大中元年の事とは信じ得べきに非ずや論無し、只だ張仲武が此の

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