National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0303 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 303 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

第二章 安西甘州高昌地方の回鶻

回鶻が黠戛斯に攻められて潰奔するや、鳥介可汗に率ゐられて南したるもの以外、一支は葛邏禄、一支は吐蕃に、又一支は安西に投じたるこ とは前に述べたるが、其の後葛邏禄及び吐蕃に入りたるものの消息につきては、之を尋究すべき記載の存することは前に述べたるが、其の一例を擧ぐれば、金史粘割韓奴傳に「大定中(二九六〇)回鶻移きては、明かなる証據の存するあり、只当時葛邏禄の領地なりしこと疑無き地方に於て、後世回鶻の一部が掠りしことは、之に籌本國回紇葛括番部、所居城名骨斯訛佐朶、……耆老相傳、先時契丹至、不能拒、因臣之云々」と記せり、之に籌本國回紇葛括番部、間の一部なる鑑托番部が據りたる菩覺三人、至西南招討使貿易、之言本國回紇葛括番部、所居城名骨斯訛佐朶、……耆老相傳、先時契丹至、不能ものなること疑なし、而して虎思鹹象染は、塞史金史等に、西遷の都として傳へらるる所と、同教徒史家の所謂 Balasagun の別名なるべく、其の地は那律鉢材の西遊録に依れば伊列河即ち Ⅲ 河の西に在りと、同教徒史家に居る合刺乞答傷の古出魯克の東方に在りとし(注89)、而して支元朝史には乃蟹の古出魯克の居住せる都城即ち虎思鹹象染、「亜河(Chu R.)」と記せば、之を Ⅲ 河以西、古居宇の居住せる地域に当るものとすれば、大定年と稱せられたるものは、(此十姓可汗故地、盡有碎葉柘羯斯諸城)と記さるる葛邏禄の所領の地に居りしものなるは疑無し、然れども此の地域中に當れるものが果して開成時德年間後「従十姓可汗の一部が、もと葛邏禄所領の地に居りしものなるは疑無し、然れども此の地域中に當れるものが果して開成時代に漢北により遷れて此の地方に入りしものか、或は其の以前、若しくは其の以後の起顕を有するものなるかに就き問此處に於て葛邏禄の所領の地に居りしものなるは疑無し、然れども此の地域中に當れるものが果して開成時代に漢北により遷れて此の地方に入りしものか、或は其の以前、若しくは其の以後の起顕を有するものなるかに就き

二六五