National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0316 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 316 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

ruru II. S. 95)
(五三) Sine-gu(原文)omits、と記さる。
(五四) 次篇唐書王忠嗣傳、新唐書忠嗣傳、遡遡天寶元年の條各に據る。
(五五) 次篇唐書第三八、百補註④參看
注(五三)のこと*參看
(五六) 遣使以下は朔府元載は天寶四載のことと記せる、これ遡前者が新唐書の回鶻傳を其の處に取り、「後三年」を
以て天寶四載と封ずるに外ならず。
(五七) Schlegel はその撮れる七百六十五年即ち天寶四載のことと記せる。
(五八) 舊唐書もこに引ける所に見ゆる義王を贈り、三載懷仁可汗のことと記せり、如く、亦三載のことと記せり共になる、唐會要及
び朔府元龜繼業篇は五載のことと記せり、舊唐書もこに引ける所に見ゆる義王を贈り、三載懷仁可汗のことと記せり、今此等の何れが正しきかを定むるに当たりては、其の元年十二
月の條に付せる元異に引ける唐暦には、共に之を三載のことと記せり、遡遡は元年に登義王を贈り、三載懷仁可汗の
れども、元年に解察を遣したる時は、未だ忠察の下に葉義たる時に過ぎれば、其の後其の位置の確立した後五載に至りて初めて懷仁
に封じたると同年中の記事に収め、舊唐書もこに引ける所に見ゆる義王を贈り、三載懷仁可汗のことと記せり、今此等の何れが正しきかを定むるに当たりては、其の元年十二
を封ずることと記せるが、舊唐書もこに引ける所に見ゆる義王を贈り、三載懷仁可汗のことと記せり、今此等の何れが正しきかを定むるに当たりては、其の元年十二
月の條に付せる元異に引ける唐暦には、共に之を三載のことと記せり、遡遡は元年に登義王を贈り、三載懷仁可汗の
可汗に册したるものと稱し、使を遣したる時は、自ら可汗を
(六〇) 一八八頁に引ける新唐書奏義王に册する五載に至りて
(六一) 次篇三八四頁參看
(六二) 通典には「距長安萬六千九百里」と記し、同じは「去長宏萬七千五百里」と記し、唐書の記載を大に異れど
も、Soleau 河域の地が長安を去ること萬六千九百里と萬六千九百里とは付す可らざることとして、之に就きては唐書の記載を正確と見ざ

三三八