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0325 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 325 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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首領姿将(監也)等、……汝駆昆五萬人、に膺するものと見たられても、勿論、扁の価値なし。氏は天可汗なる語を以て、唐
の天子を指すものと、解釈したるを以て、保善可汗を日へるものなれど、斯く乾元時代の事實を此の記事に比定して疑はざるべきことに非ず
附錄に論ずる如く、保善可汗は、五月と見ゆれ、五月六日に會盟したるとと次に見ゆる微銭・唐寶炭・册府元龜等に載せたるものに
く。今通鑑に依れば、( )内の記事は册書書・唐寶炎・册府元龜等に載せたるものに
〔五七〕崇德・昭禮等はおそらく其の誤記正したるもの(寫本に付せる裝幹等)
つき其の誤記正したるもの(寫本に付せる裝幹等)
特勤は其の誤記特勤に作りたる裝幹等)、唐會要を参照せよ。但し新唐書は此の月「高登細材没蕃句・鐵耻偷可汗」と
のみ記して、崇德紹禮の發現及び册府を記せず(本記にも見えず)、而して新く此の可汗を斷じたることを記しなから、其の下文には何
登遷骨没蕃君見倒可汗との記事は此の頃よりも後の和公主を迎へたることを記し、崇德可汗の存在をさえ忘れたるが如し。
〔五三〕册府元龜通紀篇に見倒好篇にも鑑膜篇とは別に「七年夏四月九姓細縄可汗震」とせり、恐らく册唐書を其の儘に取りしものな
〔五四〕册府元龜通紀篇通好篇にも鑑膜篇とは別に「七年夏四月九姓細縄可汗震」とせり、恐らく册唐書を其の儘に取りしものな
〔五五〕新唐書回鶻傳には「開元七年(即太和七年)」とあれど、册府元龜鑑膜篇に七年四月の處を詳に載せり
〔五六〕新唐書回鶻傳には「開成四年此其回鶻細縄勿作戯、引沙陀、共妥可汗、可汗自殺、國人立廬特勒為可汗、……脱間葉
長慶鎮劍城、賞、風間愛斯、合登成四萬、政回鶻細縄勿作戯、引沙陀、共妥可汗、可汗自殺、國人立廬特勒為可汗、……脱間葉
以廬特勒勒鳥可汗、有將軍句銭宋賞、倶相細縄勿、登可汗、走引愛斯、鐵狐細縄勿、領十萬騎、破細縄城、群廬駿、斬細縄勿、と記せるか;唐會
唐代羁縻府州の研究

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