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0330 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 330 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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二九二

〔八七〕 一九六頁に引ける廟中書本紀及び二四〇頁の貢賦等参官
の時積水塞に讀史方輿紀要十冊によれば五代の時石門鎭と改められたるものにして、大同府の北に在しものなり、此
しか既に確認記けれど、暫く新
の時積水塞に讀史方輿紀要によれば可汗の軍なりしか、或は次に述ぶる那頡敵の辜の之重なりしか
唐書回鶻傳の意とする所に從ひ、之を可汗の軍と見んとす。
唐書回鶻傳の意とする所に從ひ、之を可汗の軍と見んとす。其の指す所を定め難きも、回鶻が積水に寒し、天徳振武を嗣ぎたることと
〔八八〕 此の年の記事を、王會をして同鶻を鎭撫せしめたることと
(もたり)

〔九〇〕 同鶻傳は此の年月の記事を、王會をして同鶻を鎭撫せしめたることと
の開置き、全て此の年月の關係を誤れり。
〔九一〕 宋史律暦志(四)及び金供俱の譯せる七曜暦中の木曜没沒と曰ふ、今茲に記せることは Chavannes, Pelliot の記述は、廬尼教
徒の用ゐたるソグド暦第三卷三五八頁に及びて紹介したるが如く、今茲に記せる回鶻の特勤が各此の七曜名一を以て其の
名とせることより史林第三卷三五八頁に及びて紹介したるが如く、廬尼教の彼等の間に及ぼせる影響の如何を深かりしかを推知するに足るべし。
〔九二〕 職勝の字は恐らくあらん、之を諸將の記載と考ふるも常の解稱を下すを得ず、新書には此の七曜名を削り去れ
るとと次に示せるが如し。

〔九三〕 開成五年九月の條
〔九四〕 二四三、三年三月の參會
〔九五〕 二四三、三年三月の參會
〔九六〕 通鑑會昌三年三月參會
〔九七〕 振武の位載に戴す。
振武軍卽漢定郡都護之盛廢、古の懷、今の歸化城附近なる、きは嫌無く、通鑑大暦三年七月及之の條にも注して、「宋曰曰
在朔山之盛黑河之北」と記せり