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0374 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 374 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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兵討之」と記し、翌三年三月の條に、「鄭仁泰等收鐵勒於天山、鐵勒九姓代領其衆、與同羅・僕固兒逸、詔左武衞大將軍鄭仁泰、爲鐵勒道行軍大總管、……將合衆十餘萬以担之」と記せ

この事件と關連して考ふべきは、新唐書拔野古傳に「顯慶時與思結・僕固・同羅叛、以左武衞大將軍鄭仁泰擊之」と記せるも、全て正確を得たるものなりとす。

「斬其渠首」と記せることなり、此の時の叛亂に参ずる顯慶元年と記せらるれども、左武衞大將軍鄭仁泰をして之を討たしめたりといへるより考ふれば、此の事は鐵勒に叛く顯慶時と記せらるれども、左武衞大將軍鄭仁泰をして之を討たしめたり、同僚・同羅のみならず、拔野古・思結等の部も加はりしものなるか、舊唐記事を誤りたるものなること疑無し、されば此の記事を誤りたるものなること疑無し、されば此のることを認めざる可らず。

更に又唐書同元年何力爲鐵勒道行十には、(舊卷百九によれば、何力爲鐵勒道行軍大總管として高麗を討ちことを記せる續きに、書同傳には龍朔元年何力傳 乃簡精騎五百、馳入九姓中

其年九姓叛、以何力爲鐵勒道安撫大使、新唐書同傳には

とし、遂に之を平げたることを記し、新唐書同傳には
時鐵勒九姓叛、以何力爲安撫大使、新唐書同傳には
及特勤(誤勤)等三百人以歸

と記せり。

此の如く回僧僧及び拔野古傳に記さるゝ同僧・僕固・同羅・拔野古・思湖等の諸部の唐に對する叛亂は、本紀に

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