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0380 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 380 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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三四二

れば、之が前に述べたる鐵勒九姓團體の一部なりしが爲なりとも見られ、更に(8)父回鶻が天寶三歳の頃より鐵勒の
九姓を徵へ、之を支配するに至りしが爲、回鶻は此の時以來鐵勒の九姓より成りしが爲なりとも考へ
らる、思結・同羅・抜曳固等が皆九姓の稱を冠するは、此等の諸部が各々九姓より成立したるが爲には非ること疑
無きと共に①、鐵勒・抜曳固等の九姓團體⑦及び⑩の例に於て統一したる思結・同羅・
抜曳固の九姓團體を皆九姓の稱に於て記むるより生じたるが如く、九姓同羅の名稱の存するによりて、其の可
らかにして、汪に於ても前掲の九姓團體に屬したるものと思はるゝ以上、之が全く同一形式なる朋
九姓回鶻の名も、亦同様の事情によりて生じたるものに見るを以て當然とすべきが知らるゝはる、
然れども九姓回鶻の名は、余案の事情によりて生じたる限りにもては、即ち(2)の場合と見るを以て當然とすべきが知らるゝはる、
に於て史上に現はるゝものなるよりすれば、唐會要に「天寶初廻乞業護遮標芸、嫋突厥小段之孫烏蘇施可汗、
未幾自立爲九姓可汗、由是至今稱九姓之號」と稱するに比し、史上の事實が低觸する所九姓の可汗となりし後、從ひて此解釋を根據と解せざる時は
兼て九姓回鶻可汗と稱するに至れるもの、即ち(3)の場合によりて生じたる名稱と解せらるゝ
九姓回鶻の名が今樣に起れるもの、たゞ注意すべきは、此の解釋は必ず天寶三歳以前に九姓の可汗となりし以後に於て起りたる九
可らざるが如し③。

姓回鶻の名に對しての意義を有するものにして、萬一之より前に寶三歳雲羅が九姓の可汗となりたる場合には、
ども)は全く別稱の意義を有するものなりとて、同一の名稱が存したりとすれば、(余案は今此の名(余の存は今此の名
姓回鶻の名に加ふ)たゞ注意すべきは、此の解釋は必ず天寶三歳より前に同一の名稱が存したりとすれば、(余案は今此の名稱の起原を以て上述
述べたる何れの場合に該當するかを明確に定むるを歸するものなれども、余案は今此の名稱雲羅が九姓可汗と成り