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0397 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 397 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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と見え、舊唐書突厥傳は殆んど之に從へり、立左賢王默雜連、是烏乾倔可汗
の事件は、新唐書に阿布思と記せるものを新唐書に思結
と記され、阿布思なる者の名に代ふるに思結等部名を以て記せり、舊唐書に
と記せる例は獨り此の場合のみならざること、既に同一のものなること全く疑なし、更に册府元龜⑤に於て見たるが如し、愛奚篇には
(開元三年)十月已戊投北葛投降九姓思結等部骨磨散一、帝悪官之と記せるに符合するものにして、從ってこゝに九姓思
書の記事あり、これ前記新唐書に「思結等部骨磨散、帝悪官之」と記せるに符合するものにして、従ってこゝに九姓思
の記事あり、これ前記新唐書に「思結等部骨磨散、帝悪官之」と記せるに符合するものにして、従ってこゝに九姓思
結都督散といふものは、通典・舊唐書に九姓首領阿布思といふものに相当するものなること疑ふべし。
ただ何故に一方に布思と記さるゝ名が他方に磨散と記さるゝかは疑問なれども、或は磨散は阿布思部長の別名な
りしならんかとも思はる。要するに開元三年秋默啜が思結部を主とせる九姓と相戦ひ、九姓大いに潰え、十月思結
をはじめ九姓諸部の唐に来降するに至りしものの外、新唐書の突厥傳にも亦然んど同様に新唐書回側へられ、默
之につゞる開元四年の唐の史籍は此等通典・舊唐書のものなること明らかとなり、新唐書の突厥傳にも亦然んど同様に新唐書回側へられ、默
啜の死が拔悉固の営に不意に襲はれたるに歸因するものなること頗ぶ可き餘地無きが如し、然るに獨り新唐書回側

獨解支死、子伏常嗣立、明年助唐、攻殺默啜、於是別部移健頡羅發、與同羅・霫等皆来、詔置其部於大武軍北

九姓頡羅と Toγuz Oγuz との關係を論ず

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