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0429 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 429 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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On Uijur なる稱呼が事實上、Uijur の偏側の名稱として用ゐられたものなるを認めて前説を撤回し、然も彼女
中只一度のみ其の歴史的事實を記せる前序の部に「河流地方々に殘りし民は On Uijur 及び Toguz Onuz の上
に百年間支配したり」と記せる、此の名は、實は Synonymm に過ぎず、同義の語を記したるにはあらずして、
異れる部族を稱したるにあり、同國の古代の史事を語るに當りて實際上古く用ゐられたる名を記したるものにして、Toguz Onuz は同部族に對する新
しき名稱に外ならざるべしと見、更に進みて On Uijur なる部族を漢史に求め、鮮卑等諸姓、勝兵鐵勒傳に「獨洛河北、有僕
骨、同羅・拔野古・覆羅・蒙陳・吐如紇・斯結・渾・薛延陀等諸姓、勝兵可二萬」とあるを見べ、
茲に擧げられたる諸部は合して十部族にして、其の名稱及び住所は後に大體に於て相合すれ
ば、此の On Uijur なる名稱は隋代(581-618)に溯り、其の政治上の關係を稱したるものなりと見、尚
ぼ以前より最も有名顯著なる Uijur Onuz 部の名を取りて附するに至りし政治的團體の名稱として、而
して以前より最も有名顯著なる Toguz Onuz との關係は以前の On Uijur に屬した部族の多くを含み、而して本來の Uijur 部が之を統率した
其の團體に屬する部族は以前の On Uijur に屬した部族の多くを含み、而して本來の Uijur 部が之を統率した
るものならざるを可とせぬ。(*六四六年は真観二十年に當る。)

Toguz Onuz との關係は以前に就きては、Hirth 氏の年代を採りたる根據は、Hirth 氏の
代に就きて何等言及したるには非ずして、只貞観三十年に於る氏の字句を採りたる根據は、
記事中(第三三三頁に引ける當唐書の記事參看)に九姓なる語を載せたるに過ぎず、此の記事を以て九姓の名の
時代に就きて何等言及したるには非ずして、只貞観三十年に於る薛延陀の崩壊支の事件に關して引用した舊書の

Nachworte zur Inschrift d. Tonjukuk, S. 136 に在ること常る。氏が此の年代を採りたる根據は、

三九一