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0435 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 435 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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て居ること、考へる。南北朝時代から後には明かに康國の人が安那に来て通商し、地方にかけても、其の植民地のあつたことは、今日明かに知られて居る。安那の史書に康國の名が見えるやうに成つてから、驚くべき愉地は無い。

明かに康國の人と認めらる、もので、漠北の歴史に關係の記事を覧して居るのは、突厥の時に始まるやうである。突厥は其の興起の時から問もなく勢力をソグディアナ地方に及ぼして居つたものであることは、兩唐書の突厥傳や漠北に存する闕特勤碑文などを研究して見れば解る。それで突厥の東部、即ち今の外蒙古の地方にも自然と唐國人の入り込んだものであらうという想像は、此の情勢からも推察し得る東部、今の外蒙古の地方にも自然と唐國人に、頡利可汗の事を記して、「頡利每委任諸胡、碛逺族類、胡人習俗、性多翻覆、以故兵法滋彰、兵革歲動」と記し、新唐書には同傳貞觀二年の記事中患乏、諸部揭旗」と記して、突厥をも此の語で呼ぶ例証は多いが、康國人がまた普通に此の稱に呼ばれて居ることは、の指す所極めて曖昧で、「舊唐書突厥傳に、可汗思摩を傳した處によると、「思摩厓勝者詞利族人也」始、盧盛員其貌好く人の知る所である。「舊唐書突厥傳に、可汗思摩を傳した處によると、「思摩厓勝者詞利族人也」始、盧盛員其貌似胡人不類突厥、疑非阿史那族類、故歷虛羅・頡利、常置不得典兵」と見え、新唐書同傳も同じ意味が記されて居る。之に據れば胡といふものは、突厥即ちトルコ族とは甚だ異つた容貌を有したものであつた事を知るに難くない。さて頡利が政を委れた胡といふのは、交中に記す所からも推して如く、勿論突厥及び

漠北の地と康國人

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