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0472 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 472 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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四三四

月四) 斡魯の準ゆる金軍の為に擒へられしことは、遼史及び金史に
は同年五月太祖が落架澤に次するや、斡魯は其の俘獲せし大石を携さへて来献せしことを記せり〔大紀〕。而して金史に
石が金より再び遼に帰来せしは、遼史の記載によれば同年九月の事たりとす〔天紀〕。同遼史同紀の記す大
所により再び遼に帰来せしは、遼史の記載によれば同年九月の事たりとす〔天紀〕。同遼史同紀の記す大
再謀西征復燕雲、大石林牙力諫曰、「不可」と記せり。降金」と記せり。而して更に遼史同紀の記す大
所部出兵復燕雲、八月圓明詔諸藩鎮曰、「邪往大石自稱奚王、置南北官屬、副侯後報上」と曰へるに依れば〔戊の歳〕、遼主従者何程の記
七月と為せるものなり。而して此の記事の正しかるべきは、されば天祐末紀天食二年〔大四年〕十月の条に「戊辰四千」遼主従者何程の記
西北兩路糧秣営営司、欲趣天德駝統営司、追襲遼王、必酌事宜、其討南北官屬、副侯後報上」と曰へるに依れば〔戊の歳〕、遼主従者何程の記
戸、有歩騎萬餘、〔大同後〕因みに「天德稽王北方百二十一粒割韃奴傳」と記せり。何となれば大石が自から立ちて王となり、遼主の斡魯の記
かなりといふべし。此の際初めて独立せしことは、此の記事の上より充分に推知し得べき
事あり、たゞ同傳に「大石稱王北方」と記せり。何となれば大石が自から立ちて王となり、遼主の斡魯の記
はざるに至りしことは、此の際初めて独立せしことは、此の記事の上より充分に推知し得べき
所にして、従がつて大石が遼主を去りて独知る所となりしものなる存在は、此の記事の上より充分に推知し得べき
近き時なりし、従がつて大石が遼主を去りて独知る所となりしものなる存在は、此の記事の上より充分に推知し得べき
する時に当りて、何ぞ金は此の時の撻不野の言によりて初めて遼にかゝる事件の生じたりしを知る理あらんや、当時遼金両軍の近接
せる時に当りて、何ぞ金は此の時の撻不野の言によりて初めて遼にかゝる事件の生じたりしを知る理あらんや、当時遼金両軍の近接
韓魯が撻不野の言を太宗に奏せしは此の歳十月なれど、撻不野の金か降りしは前遼遼史の記せるが如く月の事な