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0485 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 485 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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なれば爾の齎しせしに外ならざる可く、要するに兩者の意志に非ずと せば高昌、龜茲地方の者か、若しくは、イ
る女輩にもものに外ならざるものと見ざる可らず。もし上述の如く地理上の形勢を基として考ふる時は、北庭より西遷せんとする大
レク・カン家に助を得んとしたるならば、此の地の回鶻は高昌の如く地理上の形勢に與すること殆んど疑ひを容れざるものなり。然れども金
史の所載によれば、回鶻耶律大石之驚撥八道里突迄來獻(太宗)七八年頃北庭に出でし後、九年に及びてもなほ此の
「九月己酉和州(注一)回鶻耶律大石之驚撥八道里突迄來獻(太宗)七八年頃北庭に出でし後、九年に及びてもなほ此の
よりて此に其の覊縻を得たりとは考ふ可らず。大石が天會七(太宗)八年頃北庭に出でし後、九年に及びてもなほ此の
回鶻と直ちに其の覊縻を得たりとしなり、然るに此の翌金の天會十年(三三)には、大石は後に述ぶる如く、早くも
吹河畔のベラサグンに入りて、イレク・カン此の翌金の天會十年(三三)には、大石は後に述ぶる如く、早くも
服せしといふ回鶻王軍制弱なるものは、或は此の家の可汗なりしも知る可らず。天山南路を根據地とせる高昌に帰
回鶻を覊縻するに至らずして、直ちに其の北路を西に進みて吹河畔に至りしものと思はれ、必ずしも理なきに非
ず。今西方の史籍によりて大石がイレク・カン家に代るに至りし事情を見るに、アライウド(Goulballe)と稱
との四萬戸を記事の續きに、「芸に於て彼はベラサグンに進及ぬ、此の町は今蒙古人によりてグ・バリク(Goulballe)と稱
ぶるものなり。エフラシブ王の後裔なりといはるゝ此の國の王は、既に其の勢を失ひ、領内のカル・ハック及び
カンカリの部族を制禦する能はず、却りて其の侵略を蒙れる有樣なりき(粟丹の)群集が其の國に近づくや、王は
之を防禦するなく却りて使を其の首領に遣はし、政権を其の手に委ねて引退すべしとの意を告げ、之を其の首府に

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西遼建國の始末及び其の年紀